2015年9月16日水曜日

雨の森は扉を開く

旅行記最終回、軽井沢後編です。

8月22−24日 北海道帰省前半
8月25−27日 北海道帰省後半
8月29日 SF大会米魂雑感(前半)
8月30日 SF大会米魂雑感(後半)
9月2−5日 仙台帰省とガチャガチャ
9月7日 軽井沢前編


さて、前回報告しました絵本の森美術館は「ムーゼの森」という施設の一つで
ナチュラルガーデン(ピクチャレスクガーデン)の中に
「エルツおもちゃ博物館」と一緒に配置されています。




観光パンフにはたいてい晴天時の写真しか載っていませんから、雨だれの中の景色を見られたのは幸運かもしれません。ゆっくり散策できなかったのは残念ですが、また来ればいいのですし。

それから、道路向かいの軽井沢高原文庫(軽井沢タリアセン)へ。
本館の企画は「室生犀星」。
修学旅行らしい女子の一団ががやがやと通り過ぎていきます。
一人が「イケメン」と評していた写真を見てみると、
1924年(37〜38才)の萩原朔太郎でした。
なかなかいい趣味だ。

庭の奥に保存されている「堀辰雄1412番山荘」ではこんな企画が。
暗くしめやかに佇む山荘。
嗅ぎ慣れた、昆虫標本用の防虫・防腐剤の匂い。
しかしそこにずらりと並ぶのは、私が慣れ親しんだ小型で地味な農業害虫とは違い、
大型で艶やかな蝶や甲虫たち。かの有名なヘラクレスオオカブトムシを始め、神話や伝説に由来する学名を持つものたちの饗宴です。

実を言うと、蟲屋でありながら鱗翅目昆虫の成虫は苦手です。
翅の鱗粉が嫌だから、という理由もありますが、大型の蝶や蛾の翅の持つ妖しさ、禍々しさを引き立てるこの舞台装置に肌が粟立ちました。

ゴリアテとダヴィデ。パリスとヘクトール。月の女神の名を持つ蛾たち。

「神話と現世のクロシングポイント」(ファイブスター物語より)はこんなところにも潜んでいました。
こちらは野上弥生子の書斎。


そして有島武郎の別荘で、最期の場所でもある浄月庵。
有島は引っ越し魔だったそうで、札幌芸術の森にも旧有島邸が保存されています。
ニセコの有島記念館にも行きました。
現存して公開されてる家ってどれだけあるのでしょ。

堀辰雄文学館にも行ってみたかったんですが、市街地にあり駐車場が確保できるか不安だったので今回は見送りました。
上様に、そんなに近代文学が好きなのかと聞かれましたが、そうでもありません。好きなのは、むしろ近代の文学者そのものです。
春日ゆら氏の「先生と僕 夏目漱石を囲む人々」「漱石とわずがたり」とか大好きです。

それから千住博美術館へ。

パンフの左上から二番目の「ザ・フォール・ルーム」でいろいろ考え込みました。
水が張られ、滝が描かれているのに動きも音もなく、ただ照明が移り変わっていく空間。
余計なことが洗い流されて、自分が考えたいことだけが静かに浮かび上がってきます。

折に触れては、神とは何か、どうしたら殺せるのか、といったことを考えます。基礎である生物学から、SF小説から、漫画やゲームから、自分が触れて取り込んできたものをいろいろに当てはめながら。

この時ここで思いついたのは、神は殺すことはできても滅ぼすことは難しい、仮にできてもそうしてはならない、農業害虫のようなものかもしれないということでした。害虫は害虫として存在するのではありません。人の営みが、農業が虫を害虫にするのです。それを滅ぼすのは至難の技であり多大なコストや、場合によっては害虫によるものより大きな損失を伴います。

滅ぼすのではなく、コントロールする術を探ること。
私の短い研究生活のテーマそのものです。
もしかしたら、応用が効くのかもしれません。

国費で勉強させてもらいながら、大して社会に還元できないままリタイアした身に、俄然活力が湧いてきました。

天気が良ければ散歩でもしたかったところですが、雨で少々体も冷えてきたので、お昼を食べてショッピングモールを見て回って、ゆるゆると帰途につきました。

たっぷりの贅沢。体は疲れましたが脳はリフレッシュ。
いろいろと考えること、学びたいことをどっさり収穫した夏の終わりでした。

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