2018年2月27日火曜日

『ローエングリン』感想(1)「それを問うことなかれ」

2月24日、東京二期会オペラ『ローエングリン』を観てきました。その素晴らしさと感動と、特に深作健太氏による演出、騎士ローエングリンの正体=バイエルン国王ルートヴィヒ2世として描く設定の凄さに黙っていられず、拙い筆をとって書き記しております。乱筆乱文ご容赦ください。

事前に、ドイツ語テキストの全文と対訳を読み、重要な意味を帯びて繰り返される旋律(主題)をこちらで聴き込み、
飯守泰次郎の「ローエングリン」音楽講座

ルートヴィヒ2世の生涯や人柄について軽く復習した上で、いざ東京文化会館へ。
さあ、第一幕が上がります。

舞台中央には純白の上衣の少年。たぶんあれが魔法で白鳥に変えられてしまったブラバントの嫡子ゴットフリートなのでしょう。
そして、疲れ切った様子で舞台奥から隅へとよろめき這い進む黒衣の人物。あれがルートヴィヒ2世?
彼が舞台上手で嫌そうに書類仕事をしたり、架けられた絵画を裏返したり、下手でノイシュヴァンシュタイン(新白鳥城)の模型をいじったりしている間、中央ではメインの物語、彼が見ている夢が展開していきます。

国王の登場。
テルラムント伯爵フリードリヒによる、亡きブラバント公爵の姫エルザが弟ゴットフリートを殺害したという告発。
それに対し何の申し開きもせず、ただ自分が夢に見た光り輝く騎士について語るエルザ。
黒衣の人物の目はエルザに引き寄せられます。
一方で、白い毛皮で縁取った青いマントに、赤いたすきをかけた人物が、ときどき舞台に現れては高みから成り行きを見つめています。一言も発さず、誰の目にも映っていない様子で。

そしてフリードリヒが神明裁判を宣言し、国王はエルザに代わって告発者と戦う代理人を召喚します。しかし名乗り出る者はなし。
神明裁判(神明決闘)とは、神は正しい者に味方するという前提のもと、決闘の結果で正邪を裁く調停儀式(FF14でも決闘裁判という名前で出てきますね)。ドイツばかりでなく中世ヨーロッパの、特に貴族階級の話にはよく出てきます。ちなみに平民の場合は武器を使わない、村を挙げての殴り合い(フェーデ、だったかな)になります。
エルザの嘆きが頂点に達した時、黒衣の人物は舞台中央に躍り出て、黒衣を脱ぎ捨てエルザが夢に見た通りの騎士として現れます。
エルザの夢と、ワーグナーに、とりわけ『ローエングリン』に深く傾倒し、現実のバイエルン王国よりも理想の王国を夢見たと言われるルートヴィヒ2世の夢がリンクした瞬間です。

それまで、ルートヴィヒがエルザの夢を見ていて、その夢のなかのエルザが騎士を夢見て、さらに…という『鏡の国のアリス』的な入れ子構造を想像していたのですが、実際の舞台を見ていてそうではないと感じました。どちらがどちらかの内にあるのではなく、時間と、もしかしたら空間をも超えて、二人の夢がリンクして生じた奇跡。

エルザの潔白を信じて命を賭けて戦い、勝利の暁には夫となる条件として、騎士は一つの条件を出します。決して自分の名前を、素性を、どこから来たのかを、訊ねてはならないと。これが「禁断の問い」です。

真の名を知られると、神通力を失ってしまう。
あれこれ例をあげるまでもなく、古今東西の神話や伝承によく出てくる掟です。
エルザはそれを固く誓い、騎士は見事にフリードリヒを打ち倒しますが命までは取りません。そしてエルザと結ばれていればハッピーエンド、だったのでしょうが…

第二幕。
婚礼のために聖堂へ向かおうとする騎士の前に(その前にいろいろあるのですが、今回語りたいこととは関係ないので後日に回します)フリードリヒが現れ、おまえは魔法を使って神明裁判を欺いたと騎士を告発し、やましいところがないのなら素性を言えと迫ります。何かが描かれたボードを手にして。

音は素晴らしく良く聴こえるものの舞台からは遠い3階席から、霞む目をボードに凝らしました。あれは何だろう?第一幕の小芝居で、黒衣の人物が裏返していた絵画…?
そこだけ字幕を一顧だにせず(予習の甲斐あって内容はばっちり!)一心に目を凝らして、ようやくそれが何であるか見知った時、背筋が凍りました。

「おまえは何者だ?」
その問いとともに掲げられていたのは、白い毛皮で縁取った青いマントに、赤いたすきをかけた人物、そう世に広く知られたルートヴィヒ2世その人の肖像画だったのです。

ここから完全に私の感想、私の解釈です。
エルザの祈りに応えて騎士として現れた彼は、自分がルートヴィヒであることを忘れ、夢に見た理想の乙女エルザが夢見た理想の騎士、ローエングリンであると思い込んでいる。
そして、背後の高みに黙して立つマントの人物は、彼の無意識、スーパーエゴ(超自我)。自分がローエングリンになりきった夢を見ていることを承知で、この夢が醒めることがないよう願いながら、何もできずに見守っている。この美しい夢から醒めてしまったら、現実のバイエルンに戻らなければならないから。

そう解釈することで、騎士が決して素性を知られてはならない理由が、神話的お約束だからではなく、現実的で残酷なものとしてのしかかってきました。

フリードリヒの問いを撥ね付け、エルザと婚礼を挙げる騎士ですが…

第三幕。
しかしなんということでしょう。婚礼を終え、出会ってから初めて二人きりになれた時、エルザは葛藤の末、ついに禁断の問いを発してしまうのです。
それも、よりにもよって、あの毛皮のマントの肖像画を手にして。

周囲が彼にそうなることを期待し、その重圧で彼を押しつぶし夢の世界に逃避するに至らしめたであろう、立派な国王の絵姿を手にして。

「あなたはどこからいらしたの?
いつか私を置いてそこへ帰ってしまわれるのではなくて?
そうでないなら、どうか私にだけあなたの本当の名前をおっしゃって!」

自分はどこから来たのか。
自分は何者なのか。
それが問われてはならなかったのは、彼自身が最もそれを知りたくなかったから。
否、思い出したくなかったから。
思い出さなければ、このままこの美しい夢の世界にいられたのに。

エルザが、エルザただ一人がそれを問いさえしなければ、思い出さずにすんだのに。

これこそが、「禁断の問い」が禁じられた真の理由だとしたら。
オリジナルや伝承よりもはるかに残酷な悲劇です。震えが止まりません。

"Weh' uns, was tatest du!"

崩れ落ちる、彼の夢と理想の象徴、新白鳥城の模型。
白鳥の化身たるゴットフリートが何度作り直そうとしても、もはや手遅れ。
それは他ならぬエルザに、もう一つの彼の理想の存在に壊されてしまったのですから。

彼が己の素性、聖杯の物語を皆の前で語るシーン。その高貴な血筋、孤独な栄光の物語はルートヴィヒ2世そのもの。語りながら彼が流す血の涙が見えます。「行かないで」と嘆くエルザがなんと色褪せて見えることか。

最後に浮かび上がる血の色の十字架は、湖畔でルートヴィヒ2世の亡骸が見つかった場所に据えられている十字架をイメージしているそうです。
この三幕の美しくも残酷な夢は、統治権を剥奪された翌日に謎の溺死を遂げた彼が、末期にみた夢だったのかも知れません。だとしたら、鳩に導かれて彼が帰って行った先は、バイエルンではなく彼岸だったのでしょうか。今度こそ、彼が永遠に醒めることのない平穏の内にありますように。

* * *

私はオペラや古典芸能の類は、現代的な演出ではなく原作に忠実に演じられるのを好みます(アンケートにも、この点だけ旦那の用紙までもらって「古典的に!」と訴えてきました)。言葉も翻訳などせず原語+字幕で、判りにくいというなら予習していくべし、それが観る側の礼儀であると、他人様に押し付けはしませんが自分はできるだけのことはしますし、旦那にもあらすじ読ませました。
しかしこの舞台の、深作健太氏による「ローエングリン=ルートヴィヒ2世」という設定には完全に平伏しました。感極まりました。この舞台を観られて、本当に良かったです。ありがとうございました。
あらゆる関係者様、演奏者様たち、特に四人の光の戦士たちに栄光あれ。



参考資料
音楽之友社 「オペラ対訳ライブラリー ローエングリン」高辻知義訳
Youtube 飯守泰次郎の「ローエングリン」音楽講座
ノイシュヴァンシュタインの観光パンフレット(日本語)他
当日に会場で購入したパンフレット(上演前に目を通せたのは広瀬大介氏による「曲目解説」の主に38〜39ページ、重ね合わされた人物相関図)

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