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2014年8月31日日曜日

夏の終わりに

今日は生合唱、混声合唱団アミーゴさんの第10回発表会を聴いてきました。
曲目は「月下の一群」混声版、「山田耕筰による五つのうた」
と馴染みの曲が並んだところで
信長貴富「スピリチュアルズ」の迫力にやられました。

いっしょに歌いましょう、という企画もあったんですが
「世界に一つだけの歌」も「花は咲く」もサビしか知らず
むしろプログラム中のガチ合唱曲の方が歌えるわーとか思ったり(笑)
なんとか二曲とも団員さんについていって歌いました。

喉も腹筋も、跡形もなく衰退してるのは判ってましたが
軟口蓋が上がらない、ちゃんとした口の開け方すら忘れてる、
てのは軽くショック。
もういいです聴く方専門で。

その後霞ヶ関の路上で、出遅れた蝉の幼虫に遭遇。
とりあえず土と樹のあるところに移動させましたが
今から羽化して配偶者探せるのかい君は?


以前、蝉を死のモチーフとして描いた小編を書いたことがありました。
(シリーズの中の番外編、シリーズごと没になってます)
ずっと地中にいれば良かったのに、出て来たばかりに一週間で死んでいく蝉。
威嚇のために握り潰される木の実。
絹糸を取るために煮殺される蚕の蛹。
生まれてきて母親に殺される子供と、母体の未来のために中絶される胎児…暗い。

君がちゃんと羽化してくれてることを祈ってるよ。

セミと言えば、元職場の先輩がお父さんの遺品を整理していたら
古い未現像のフィルムが出て来て
「自分の子供の頃とか写ってたらどうしよう?」と
わくわくしながら現像に出したら
セミの幼虫が地中から出て来て羽化するまでの一部始終が収められていたそうです。
なんていうか、うん、昆虫の変態はロマンですからね。

銀座の山野楽器でなんとなく買ってみた歌曲集。ブラームスとクララ・シューマンとロベルト・シューマンの曲が入ってます。
日本語解説なんてついてませんが、仏文や独文のあとに英文を見ると「わかる!」気がして勇気がわいてきます。








シューマンの入院中、ブラームスがクララに書き送った手紙の呼びかけが
「マダム」「親愛なる友」「シューマン夫人」ときて
最後は「愛する友よ」に変わり、そこで

「私には貴女を想い、貴女の手紙を、肖像を見ること以外何もできない。貴女は私に何をしたのですか?貴女が私にかけた魔法を解くことはできないのですか?」
(Charles Johnston氏による英訳から私訳)

とまで叫びます。入院中のシューマンの死の前年。

そう言えばこんな話を思い出しました。日本合唱連盟発行の機関紙「ハーモニー」より。
ある指揮者の先生が大学の(男声?)合唱団にブラームスの「愛の歌」を指導していた時。音も発音もリズムも完璧なのに何故かブラームスの音楽ができてこない。そこでいったん休憩にして、ブラームスとシューマン夫妻の親密な関係、シューマンの狂気と自殺未遂、彼の最後の言葉「Ich weiß」(I know)が意味するところについて、先生の解釈をひとしきり語りました。それからおもむろに練習を再開したところ、「まぎれもない屈折したブラームスの音楽」が流れ出たということです。

音楽は音楽、色眼鏡で見てはいけないものでしょうか?でも今この曲集を聴いていて、いろいろ考えずにはいられません。カバーイラストの意味するところも。


自宅近くの駅で、電灯の上のハト避けにひっかかっていた大型の蛾、オオミズアオ。
ぞっとしますが、蛾マニアにはたまらないらしいです。
漫画版源氏物語「あさきゆめみし」で、六条御息所が葵の上を呪い殺すシーンで
描かれてましたっけ。妖しく美しい、近づきたくない存在です。

日付も変わったところで、今月中に読み終えたい本がまだ二冊未完なのでした。明日頑張ります。

2014年4月1日火曜日

ゲーム合唱曲をいくつか挙げてみる

 いろいろ拾ってみようとしたんですが、立ちはだかるのは自称ゲーマーでありながら、自分でプレイしたりクリアしたゲームの数の圧倒的な少なさ。大体反射神経に恵まれてない私にシューティングなんて無理ですし、少々アクション性のあるRPGだってお手上げです。ええ、MGS3の最初の一歩でワニに食われて死にましたよ!それに幅広く手を出すよりも、本当に気に入ったものをとことんリプレイし究め考察する自分の性向のせいもあります。

 という訳で、ゲーム合唱曲を紹介しよう!なんていう志に反して、自分の好きなゲームの合唱曲についてしつこく語ったり、人様に紹介してもらったものをさらに紹介したりなんていうしょんぼりな内容になってしまいました。しょぼん。

 順位付けなんてものはしないつもりでいますが、やはり最初に紹介するのはこの曲以外あり得ません。

FINAL FANTASY XIオープニングテーマ「石の記憶」〜
プロマシアの呪縛エンディングテーマ「Distant Worlds

 前半オープニングテーマはエスペラント語。スクウェア初のオンラインゲームが最初に発したメッセージがこれでした。遠く離れた、顔も見たことのない、言葉も通じない相手とも、その気になれば手を取り合うことができると。
 後半エンディングテーマは英語です。地獄の難易度で悪評高かったプロマシアミッションの最後を飾る名曲。地獄を乗り越えた先でしか見ることのできない風景を、ともに乗り越えた仲間としか分かち合えないものを、ネトゲという仮想空間で提供してくれたことは大きかったと思うのです。ただ、望んだ全員が奇跡を、最後までともに戦い抜ける仲間を得ることはできなかったけれども。
 幸い私は得ることができました。あの頃のみんな、元気でいますか?

 ネトゲ繋がりで次行きましょう。

メタルギアオンラインエンドロール「勝利の唄」

 ご紹介する中で、これだけが普通の日本語歌詞で歌われています。他は造語とかが多いですね。曲を作れる人よりも、ちゃんと日本語で、ゲーム内容や合唱に合う詩を作れる人が少ないんでしょうか。

 メタルギアオンラインで紹介したい動画はもう一つあります。プロの歌ではありません。

MGO合唱団

 メタルギアオンラインは、ボイスチャット搭載のゲームだったんですが、その機能を使って合唱しちゃったのがこの作品なのです。ところどころラグが酷く、ずれまくってる部分もあります。でも、ネトゲというツールを使って合唱したいと思う人達がこれだけ集まって、そしてやってのけたということが凄いと思います。自分も加わってみたかった。もうサービス終了してますが。ついでに言うと、ファイナルファンタジー11というゲームも、もはやあなたや私が知っていた世界ではありません。

 次からは普通にオフゲです。二曲続けて。(あ、ドグマはオンライン要素ありますけど)

FINAL FANTASY零式 戦闘曲「浄火」

ドラゴンズドグマ 小ボス戦後半曲「死闘の果てに」

 燃える戦闘曲です。RPGのパーティ戦闘、異なる特技を持つ者同士が力を合わせて戦うよ!という雰囲気を演出するのに、混声合唱がはまるのは実に当たり前のことだったのですね。この辺に、「混声でなければ表現できないもの」のヒントがあるのかも。

月並みな例えですが、
ソプラノ:メインアタッカー
アルト:ヒーラー
テナー:サブアタッカー/ヌーカー(トリッキーな攻撃で大ダメージを与える役)
ベース:タンク(盾役)
て感じでしょうか。

 ということは、ベースが高音域に跳ね上がる時(おまへは みどりのおびをしめて)感じる不安と戦慄と高揚感の正体は、ナイト様がいきなり「内藤」に豹変しちゃった!ということなのでしょうか(笑)。「内藤」とは、片手剣と盾を携えてみんなを護るのではなく、両手剣を振りかざして「俺様強えええええ」とひゃっほいしちゃう困ったちゃんなナイトのこと。
詳しくは→ http://wiki.ffo.jp/html/189.html

 激しく横道にそれました。
 前述の通りアクション適性皆無な自分ですが、実は戦闘機ゲーム「ACE COMBAT 04 shattered skies」はステージ2までクリアしてたんです。そこまででも音楽がいいなあ、というのはひしひしと感じてサントラ買ったんですが、「クリアするまで聴かない!」などとあまりにも無謀な志を立て、封も切らないまま・・・その後どこに行ったんだろう・・・(遠い目)
 むしろ聴いていたら!そしたら血涙流しながらでもクリア目指したのに!(いや無理だから)
 そして幾年。ツイッターを通じて再びこのゲームの音楽に触れることになろうとは。シリーズ通じて名曲ぞろいなんですがここはこの曲を挙げましょう。「quia pius es」で紹介した「MegalithAgnus Dei」ももちろんお勧めです!

ACE COMBAT 5 THE UNSUNG WARThe Unsung War

「空の軌跡」シリーズには生合唱は出てきませんが、それっぽいサンプリング音は使われてます。SCの「女神の御許へ」の出だしもいいですが、ここはやはり

「空の軌跡 The 3rd」より「幻影城《Phantasmagoria》」

 これ生合唱で聴きたいなあ。でもファルコムの財力では無理なのかしら。募集すれば只で歌ってくれるファンはいると思うのだけど、練習場所確保とか指揮者の先生とか、お金かかりますからね〜。

 さてそろそろ締めに入りましょうか。雪と氷に閉ざされた北の地、邪竜アルドゥインの野望と、帝国軍対反乱軍の内戦渦巻くスカイリムで、文字通り「声」=「Shout」を武器に戦う主人公、「Dragonborn(原語Dovahkiin)」のテーマです。


動画には英語対訳しかついていませんので、ここで日本語訳を紹介しておきましょう(私の訳ではありません)。

ドラゴンボーン、ドラゴンボーンよ、彼の名誉にかけて誓われん
永遠に邪悪を寄せ付けぬと
勝利の雄叫びを聞けば、最凶の敵は敗走するだろう
ドラゴンボーンよ、我らは汝の祝福を祈ろう

さあ、耳を傾けよ、雪の息子たち。
いにしえの時代に、勇敢に語られてきたかの者の伝説に。
その者は竜と人間の両方の血を引き、
太陽と並ぶほどの力を持った

同胞の戦中に開かれた書は、寒き地の黒き翼を予言した
Alduin, 王達の破滅のもと、
世界を飲み込もうと飢えたいにしえの影が解かれると

しかし、闇の竜の降誕を永遠に耳にすることがなくなる日がやってくる
美しいスカイリムは汚れたAlduinの胃袋から解放されるであろう

ドラゴンボーン、ドラゴンボーンよ、彼の名誉にかけて誓われん
永遠に邪悪を寄せ付けぬと
勝利の雄叫びを聞けば、最凶の敵は敗走するだろう
ドラゴンボーンよ、我らは汝の祝福を祈ろう

***

 お楽しみ頂けたでしょうか?
 え、あれ(FF7)とかあれ(FF10)は紹介しないの?と突っ込まれそうですが、あれらはあまりに有名なので外しました。今度は合唱に限らず私的ゲーム音楽の歴史についてでも語りましょうかねえ。

2014年3月25日火曜日

quia pius es

 最近ツイッターを始めました。いろいろ呟いたり人の呟きを見ているうちに、初めて、外でのつながりが全くない、ツイッター由来のお友達(と私は勝手に思っていますが)ができました。接点は合唱とゲーム音楽。その方が紹介してくださった、ゲーム合唱曲動画の一節に感じたことを叫びます。

その動画です。まずは聴いてみてください。

 それは戦闘機ゲーム、舞台はおそらく激しい空中戦。一呼吸ごとに、敵味方の戦闘機が撃墜され空に散っていっているのであろうその最中、その空に響き渡るレクイエム、「Agnus Dei(神の子羊)」。

 ミサ典礼文なんてものに全く縁のないであろう一般ゲーマー閲覧者の為でしょうか、きちんと歌詞と、投稿者自身の手によるものらしい対訳が表示されます。

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: qui tollis peccata mundi:
世の罪を取り除く神の子羊よ、世の罪を取り除き賜え

Agnus Dei, qui tollis peccata mundi: dona eis requiem.
世の罪を取り除く神の子羊よ、彼らに安息を与え賜え

動画では「神」の字に旧字体が使われてます。このセンス、素敵です。…しかし続いて。
           
Lux aeterna luceat eis, Domine: cum sanctis tuis in aeternum,
主よ、彼らを永遠の光で照らし賜え、聖者達と共に永遠に

quia pius es.
あなたは慈悲深く在られるのだから


あなたは慈悲深く在られるのだから

 この一節に、後頭部を殴られたかのような衝撃を覚えました。こんな訳、見たことない。何故だか震えが止まらない。

 私が初めて歌った記念すべき、フォーレのレクイエム(楽譜:全音出版)の歌詞対訳は、今手元になく覚えていませんが、こんな言葉ではありませんでした。
 シューマンのレクイエムのCDのスリーブでは
「これおんみは慈悲深くいませばなり。」
 いろいろ検索したところでは、
「なぜならあなたは慈愛深い方ですから。」
「慈悲深き主よ」
「なぜならあなたはいつくしみ深い方ですから。」
「あなたは慈悲深くあられるのですから」これはちょっと近いかも。

 かつての自分はフォーレをどう歌っていたのでしたか…ただ

quia(ゆえに)pius(優しさ、慈悲深さ)es(あなたの)

 とだけ理解して、そのまま「あなたの慈悲深さゆえに」と取っていたのでしょうか。あの時、習い始めた時十八で、ステージに上がった時十九だった私は全く考えようとはしませんでした。何故この一見優しい言葉が、あのような旋律で歌われるのか。一度目は切実に問いかけるように、二度目はまるで絶望の叫びのように。

 モーツァルトのレクイエムの「Agnus Dei」はモーツァルトの作品ではありませんが、「Kyrie」をそっくりそのままコピーした二重フーガと、捻れながら上昇しつつ低声部から高声部へと受け渡されていく(まるで天に届かせようとするかのように)「cum sanctis tuis in aeternum」の果てに、ただ一度だけ全声で歌われる「quia pius es」、あれは覗き込んではならない深淵のようでした。
 知る限りシューマンのレクイエムだけが、字面通りの優しい光として歌われていました。かつては好きだったそれが、自分の中で急速に色を失っていくのを感じます。

あなたは慈悲深く在られるのだから

 何故、この一節のこの訳をこれほどまでに恐ろしいと感じるのでしょう?

 かつてこんな文章を書いていて、反語というものが疑問文の形を取った強い否定であるように、烈しすぎる否定というものもまた問いかけの一つの形なのではないかと考えたことがあります。
 この一節のこの訳にも似たようなことを感じるのです。見た目の構文が語る以上のものを訴えているような気がするのです。

            あなたは慈悲深く在られるのだから。

            あなたは慈悲深い筈なのですから。

            あなたは慈悲深いのでしょう?



            あなたは慈悲深くはないのですか?



 今自分がこの訳に突き付けられていることは、もしかしたらラテン語の原文では自明のことだったりするのかもしれません。
 イスラム教の聖典「コーラン」は、本当は翻訳してはいけないと言います。御言葉を正確に翻訳するということは、不可能なのでしょうか?実際、日本語の愛はloveではないし、正義はjusticeではないように。
 実は「quia pius es」という言葉が語るのは「あなたの慈悲深さゆえに」などという意味ではなく、そのことを、ラテン語を操り神の言葉を説く人達は、僧侶達は、神学者達は、とっくに承知だったのでしょうか?

 神が、本当は、(恐ろしくて言葉にできません)ということを。

 それはラテン語を教養の基礎におく欧米の知識人達にとっても、例えば作曲家ガブリエル・フォーレにとっても承知のことだったのでしょうか?あの言葉がああまで絶望的に歌われるのはそれ故ですか?

 自分は、何を歌ったつもりでいたのでしょうか。

 私は生物学を、進化論を勉強する為にキリスト教を棄てた訳ですが、そうでなかったとしても遅かれ早かれ、「全知全能にして慈悲深き神」などという矛盾した存在には耐えられなくなっていたでしょう。
 もし生物学者達が間違っていて、造物主たる神が実在したとしても、私はそれを畏怖しません(作ってくれてありがとう、と感謝はするかもしれません。産み育ててくれた親にするように)。さまざまな物語に登場する、神を名乗る怪物達に対してもまた然り。

 ですが、先に私が言葉にできなかったことを認識(グロク)(注)した上で、それでもなお神を信じるという人達を、私は心から畏怖します。畏怖しつつ後ずさり遠ざかります。私はあなた達に近づくことはできない。私は神を信頼することができない=神と「囚人のジレンマ」を競う気にはなれない。

 そして我が師達、私に前節「『囚人のジレンマ』が語るもの」で語ったことを悟らせてくれた生物学者達に心からの感謝の手を差し伸べます。教えてくれてありがとう。人が慈悲の心を持つのは、神様が与えてくれたからではなくて、ただ合理性を、利己性を追求した先の帰結であることを。

 やっと震えが収まってきました。お風呂入って落ち着いたら投稿するとしましょう。

3/29付け足し:お店で全音のフォーレクの楽譜を立ち読みしてきました。「quia pius es」の訳は「慈悲深き主よ」でした。今の自分が歌うなら、込める気持ちは「慈悲深く在れ」
 文法無視。命令形。神に向かって命令形。

 あ、でもレクイエムの歌詞って結構命令形ありましたね?「主よ」とか「〜賜え」とかついてるから謙ってるように見えるだけで。


(注)認識(グロク)する」とは:R.A.ハインラインが『異星の客』の中で創作した造語。対象を、言葉や理屈ではなく肚の底から理解する、納得する、と言った感じの意味。…で正しいのだろうか。実は自分も「認識(グロク)する」という言葉を正しく認識(グロク)できているのかどうか自信がありません。まあフィーリングで。

2014年3月14日金曜日

100パーセントの感傷

 ホワイトデー三話の最後。二話までは男性って哀しい、という話でしたが、今回は「羨ましいっ、妬ましいっ!」と叫んじゃいます。

 働いていた頃、労働組合の集まりかなんかで、セクシャルハラスメントや男女差別を受けたことがないか、しつこく聞き取り調査されたことがあります。何もなかったので何も答えようがなく、うんざりしながら職場に戻ってふと思いつき、同い年の同僚に聞いてみました。

「男に産まれてきたかった、って悔しい思いしたことある?」
「ないね」即答する彼女。
「私はあるよ」
 にやりと笑って、
「ものすごーく上手い男声合唱を聴いた時」
「座布団一枚!」

 混声合唱をやっていた大学生時代、近隣の男声合唱団の演奏会にも欠かさず足を運んでいました。また、混声合唱団内でも、有志で内輪で男声のみで歌ってたりしたのを間近に聴きました。混声合唱にも、女声合唱にもない何かがそこにはありました。
 なんだろう、この感じ。声質の揃っていること。それでいて、混声に劣らない音域の広さ。いやそういう技術的な問題ばかりではなく。
 もともとは混声合唱向けに作られ、後に男声合唱に編曲されたバージョンを聴いてもさして物足りなさは感じない。なのに、数は少ないけれど男声から混声に編曲された曲を歌っても、何か違う、何かおかしい。どうして。

(毎度横道にそれますが、中学一年の間だけいた学校の合唱部は女子しかいませんでした。でも混声合唱曲歌いたいね、てことで、男声部をオクターブ上げて女子が歌ってました。当時の私はばりばり高音が出たので、テナー歌ってたことが多かったですね。『海の歌』の「海の匂い」とか、『土の歌』の「大地讃頌」とか。
 その年のNHKコンクールの前、声出しのために広場で適当に「大地讃頌」を歌ってました。もちろん無伴奏で。それを聴いた他校の先生から「いつ『土の歌』の女声版が出たのですか?」と聞かれたそうです。それなりに決まってたってことでしょうか)

 いくつもの男声合唱曲を聴いていて、これは絶対に混声や女声では表現できないだろう、と思わされるものが数多くありました。
 演奏会後のアフター(ステージがはねた後、ロビーや屋外で観客の間近で歌われるアンコール)の定番、「ウ・ボイ」「斎太郎節」「Ständchen」「雨」、いずれも男声の世界です。「シーシャンティ(海の男の歌)」、「吹雪の街を」、ああもう数え上げればきりがない。
 何が違うの?どうして女の声はここに入っていけないの?と長年思ってきたんですが。

 三好達治作詩、木下牧子作曲『アンファンス・フィニ(過ぎ去りし幼年時代)』という男声合唱組曲があります。この第一曲「アンファンス・フィニ」の冒頭のヴォカリーズ(歌詞なしで、Ahなどで歌われる部分)が好きで好きで、ほとんど暗記しているそれを脳内で再生していてふと思いました。

1分間試聴、冒頭のヴォカリーズは入ってます)

(こちらは最後まで聴けます)

 また話が飛躍しますが、いわゆる薄い本を作る乙女達は何故ボーイズラブに走るのだろう、という疑問が同時に解けました。混じりっ気なしの、100パーセントの感傷がそこにあるからです。
 女は、いかに感傷に溺れようとも、必ずどこかに現実味、生々しさを残した生き物です。だから、完全な感傷の世界に浸りきるためには男同士でくっつけるしかないということなのでしょう。
 歌声もそうなのです。女声の持つ血の匂いが、男声合唱の純粋な世界を穢してしまうのです。悔しいことに。

 負けっぱなしというのも悔しいので、じゃあ女声もしくは混声でしか表現できないものって何よ?と思案中ですが、一つの答えは「狂気」です。女声は狂っても美しく在れる。しかし男声が狂う時、それは音楽ではなくなってしまうような気がします。
 文学や演劇にもそんなところないでしょうか?狂えるオフィーリアは美しい。しかしリア王の狂いぶりは見苦しい(と私は思います)。

 ひとつの例として、大手拓治作詩、西村朗作曲の女声合唱組曲『秘密の花』の「ゆびⅡ」(原詩タイトル「頸をくくられるものの歓び」)を挙げてみます。男が恋人に向かってこう請うのです。

            あなたの ゆびのなぐさみのために
            わたしのほのじろい頸をしめくくつてください。

            あなたの美しい指で わたしの頸をめぐらしてください。

 妖しく美しい曲想と和音の中でその願いは叶えられ、歌は一旦死を迎えます。しかし続いて、この上なく美しい旋律に乗って清らかな天使が舞い降ります。

            (わたしの頸は)
            あなたの きよらかなたましひのなかにかくれる。

 これでハッピーエンドかと思いきや、清らかな旋律は徐々に狂気を帯びていきます。天使が狂って堕ちていくのか、それとも恋人を絞殺するという行為が至高に高められていくのか…上下の感覚を失った酩酊状態の中で曲は終わります。あくまでも美しく。

 これ、もしも男声合唱で表現されちゃったら立つ瀬ないなあ。西村朗氏の大手拓治三部作のあと二つ、『まぼろしの薔薇』『そよぐ幻影』は混声で書かれ、前者は男声版も出ているそうですが、どうかお願いしますよ西村先生。


(参考サイト:日本詩人愛唱歌集様