2014年12月13日土曜日

Apoptosis

ツイッターでも騒いでいますが
12/6に東京経済大学グリークラブさんの演奏会を聴きにいって
男声合唱組曲「Enfance finie」の魅力に改めてどっぷり浸かっております。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLJ9yw1NzHCK2XkmKl-rdg0kcwnA1X_Baa

はまるあまりに、詩人三好達治の詩集を買って読み込んだり
さらに今日は新宿紀伊国屋書店にまで足を伸ばしてみましたら
「続・宗左近詩集」を発見しました。
荻久保和明氏の合唱曲「縄文」シリーズの作詩者です。

いろいろ読みつつ美味しいワイン二杯開けました。
デザートはこれです。薔薇の香り。

そして酔った勢いで自分も何か書きたくなってきました。
例によって電車の中で考えてさくっと投稿。

まずは前振り。

誰がそれを罰してくれたらう

――吉原幸子「喪失」

生まれないのに死んでしまつた
玻璃盤の胎児は
酒精のとばりの中に
昼もなほ昏々と眠る

――三好達治「玻璃盤の胎児」

この世にある存在 それらをあらしめている
根本の力 ぼくはそれを信じています

ただし その力が人間を裁くとは思えない
そのため神さまという言葉で呼ばないのです

――宗左近「罪と罰」

***

Apoptosis


補足。
アポトーシス(apoptosis)とはプログラムされた細胞の自死作用。
外傷や毒物などによる死はネクロシス(necrosis)と呼んで区別する。

2014年12月4日木曜日

箱根温泉

11/29-30、上京してきた母と叔母と、箱根温泉に行ってきました。
あいにくの雨模様で、紅葉も終わる頃でしたが
桜も紅葉も、樹上で全開の姿よりも散る様を眺める方が好きなので
自分としてはちょうどいい頃合いでした。

特に紅葉は、地に落ちても水に没してもなおしばらくは
色鮮やかさを保っている様が美しいですね。




桜が散る様には、どうしても吉原幸子「花」を思い出します。

 しなやかな丘の貝がら
 吹きはがされた空のうろこ

温泉宿にはこんなちらしがありました。

ヤクルトの香りのお風呂・・・入りたくない。

雨模様で外はあまり歩けなかったのですが、宿の近くの岡田美術館に行ってきました。
東洋美術、特にメインの中国美術にはあまり関心なかったので
さらりとスルーしたんですが
ひびも欠けもない縄文式土器を見られたのは良かったです。

翌日は母と叔母が愛する箱根駅伝の復路スタート地点を見たり
ルネ・ラリック美術館に行ったり。
箱根には犬も歩けば棒に当たるほど美術館がありますね。
今度は美術館巡りをメインに行ってみたいものです。
ヴェネツィアングラス美術館なんてのもあったようですし。

2014年9月29日月曜日

メルヘン

ケブラートワロンpoly-p-phenyleneterephthalamideとも呼ばれるp-フェニレンジアミンとテレフタル酸クロリドから共縮重合して得られるパラ系アラミド繊維である。(ポリアミド-Wikipedia

アクリロニトリル(Acrylonitrile)・ブタジエン(Butadiene)・スチレン(Styrene)を化合して作るプラスチックの一種です。それぞれの頭文字をとってABS樹脂と呼ばれています。(JAPANESE MAKERS

…着いた。
 ここで変わるみたいだ。

 ここから僕は「僕たち」になるんだね。

―工場に搬入され、製造ラインに回される樹脂原料。

 そう。そしてさよなら。

―加工が済み、倉庫で出荷待ち。

 やあ、聞こえる?

 うん。僕はこんな風になったよ。

 強いね。僕なんてこんなだよ。

 その分、何にでもなれるんだって?

 そうみたい。楽しみだな。

―出荷の日が来る。

 今度こそ、さよなら。

 さよなら。…またどこかで、会えたらいいね。

ボディアーマー(body armor)は、銃弾や爆発による破片などから身を守るために使用されるベスト状の身体防護服。(中略)素材としては基本的に強靭な繊維であるケブラーやアラミド繊維を幾重にも織り込んでおり、さらに…(ボディアーマー-Wikipedia

3Dプリンターの主な機種には次のものがある。・・・
ABS樹脂やポリカーボネイトを使用した熱溶解積層法方式のストラタシス社Fortus/Dimension/uPrint/Mojoシリーズ・・・(3Dプリンター-Wikipedia

 まさか、本当に会えるなんてね。

 思ってもみなかったね。そんな形で。

 こんな形で。

 ね、どっちが強いかな?

 君と僕と?

 僕と、君の押す力と。

 どうだろうね。

 ほら、もう試されるみたいだよ。楽しみだね。

―轟音。

 ね、まだ聞こえてる?

 うん。また、何かの形で、

 会えたら、

 いいね。

3Dプリンターによって作られた銃から射出された弾丸に撃ち抜かれたボディーアーマーごと、死体が放置される。

―もう一人の手に握られたまま、銃が去る。




 うん、また、いつか、何かの形で。



――――――――――――――


3ヶ月程前に突発的に書いて放っといた代物です。
ある方に読んでもらうために限定公開です。
突然消えるかも知れません。

2014年9月28日日曜日

高尾山

御嶽山が大変なことになっている中、電車に乗ってふらりと山へ。
いろんな花が咲いています。



「六根清浄」ってベジタリアンのキャッチフレーズみたいに見えて、
なんで肉屋さんが?と思ったんですが
調べたら六根とは五感+第六感のことを指し、
山ごもりなどによって不浄なものを見ない、聞かない・・・
ことにより魂を清浄な状態に保つ、登山者のかけ声みたいなものだそうです。
(Wikipediaの記事を元に勝手に要約)

「悪を知らずして悪を取り締まれるか」
(池波正太郎「鬼平犯科帳」)


薬王院では礼拝はしませんでしたが手は浄めてきました。
帰る道々、なんで人は神というものを求めたがるのかな〜
などと考えながら歩いていたらカエルさんに遭遇。


人は騙されていると判っていても何かを信じたいんでしょうか。
「ドラゴンランス」にはれっきとした神々が
(久しく忘れ去られた後に)
登場しますが、力はあっても絶対的な存在という訳ではありません。
作者ワイスとヒックマンの宗教観ってどうなんでしょうね。
「戦記」の原書が届いたら、その辺もじっくり解読してみたいところです。

「おれはあんた方なんて信じられない!」タニスは叫んだ。「いったいどんな神々なんです。人に犠牲を強いるなんて?あんた方は人々の上に<大変動>をもたらしたのと同じ神々なんだ。いいでしょう――強大な力をお持ちなんだ!だったらもう放っといてください!おれたちにはあんた方なんていらない!」(「廃都の黒竜」より)

お土産はどんぐりクッキーです。

2014年9月23日火曜日

愛の言葉十撰

長い記事なのでページ内リンクを付けようとさんざん苦労しましたが、どうやらBloggerではできないようです・・・下に各台詞に対するコメントがありますのでご参照ください。


「さらば、グラティシャ。フウェム=オメヨの王女よ。そなたを愛していた」
――サクシフ・ダン
(マイクル・ムアコック「この世の彼方の海」)

「私の尊敬に値する人であなたがあってくれた、そう思って死ねるのは大変心が安らかだ。どうか私の記憶が愛しいものとしてあなたの心に残るだろうと、せめて私に思わせておいてください」
――クレーヴ公爵
(ラファイエット夫人「クレーヴの奥方」)

「そうさせたのはあなたの美しさなのだ。あなたの美しさが私の眠りにつきまとって離れず、私に世界中の男を殺したいと思わせたのだ」
――リチャード三世
(ウィリアム・シェイクスピア「リチャード三世」)

「もう兄さんなんか必要ないんだ!もう兄さんなんか必要ないんだよ!」
――レイストリン・マジェーレ
(マーガレット・ワイス&トレイシー・ヒックマン「ドラゴンランス伝説6 奈落の双子」)

「everything is ready…Lt.」
――雪風
(神林長平「グッドラック 戦闘妖精・雪風」)

「そうよ、瑠璃は墨染めの白拍子なの。そして吉野君と舞を舞うの…!」
――瑠璃姫
(氷室冴子原作、山内直美作画「なんて素敵にジャパネスク文庫版4巻」)

「レオナール…それでも私はあなたのことを…愛していたわ…」
――アロセール・ダーニャ
(「タクティクスオウガ」Cルート第四章)

「御意…麗しき、我が星の神子様……。」
――カラハバルハ
(「ファイナルファンタジーXI」クエスト「星月、その姿は」)

「父さんを助けたかったんだ。この街の力を使って…。
ぼくが生まれたとき、父さんがそうしてくれたように。
今度は僕が助けたかったんだ」
――シドニー・ロスタロット
(ベイグラントストーリー)

平和より自由より正しさより
君だけが望む全てだから
――BEYOND THE TIME
(「逆襲のシャア」テーマソング 作詞:小室みつ子、歌:TMネットワーク)



「さらば、グラティシャ。フウェム=オメヨの王女よ。そなたを愛していた」

 一目惚れした娘を無理矢理愛人にしたメルニボネ貴族にして魔術師、サクシフ・ダン。彼女の許嫁が連れ戻しにきた時、彼女が自分を裏切ったと思った彼は許嫁を殺し、彼女を有無も言わさず凄惨な拷問死に追いやります。しかし彼女の最期の想いは…

 新版では明文化されてませんが、旧版でははっきりと語っていました。
「愛しています、愛しています、愛しています…」

「なんたることよ!それから?おぬしの先祖はどうした」
「後悔したのだ」
「当然だろうな!」
「だが、メルニボネ人にとってはそうではない、われわれが後悔などという感情を抱くことはめったにないのだ」

 彼女、グラティシャの生まれ変わりを探し、ようやくヴァスリスを見つけ出したサクシフ・ダンと、エルリックが忘却界から召喚した許嫁、カロラーク皇子の対決。

「あの娘は余を愛してたのだからな。そうおまえを、ではない」
「彼女(あれ)はわれわれ双方を愛していたのだ。だが彼女(あれ)が汝に与えた愛は魂をそっくりくれてやるようなものだ。われはそのようなものをいかなる女からも求めはせぬ」

 決着が着き、死に逝くサクシフ・ダンの最期の台詞が冒頭のこれです。
 愛し方を、愛され方を知らないとはなんと残酷なことでしょうか。



「私の尊敬に値する人であなたがあってくれた、そう思って死ねるのは大変心が安らかだ。どうか私の記憶が愛しいものとしてあなたの心に残るだろうと、せめて私に思わせておいてください」

 美しいシャルトル姫に惚れ込んだクレーヴ公爵と、愛の何たるかも知らぬまま結婚する姫。しかし彼女はクレーヴの奥方となってからヌムール公に出会い、恋に落ちてしまいます。遊び人ヌムール公もまた彼女に恋し、当時のフランス貴族の道徳観念にのっとり奥方を誘惑します。きっぱりと拒絶しつつも苦悩する奥方。やがて秘められた恋は夫の耳に入り、妻が別の男を恋していること、もしかしたら既に自分を裏切っているかも知れない、という苦しみは彼を死の床に追いやります。しかし潔白を訴える妻の真摯さに心を休らげて逝くのでした。
 はっきり言ってこの話も登場人物も嫌いです。でもこの台詞はあまりに美しいので取り上げました。



「そうさせたのはあなたの美しさなのだ。あなたの美しさが私の眠りにつきまとって離れず、私に世界中の男を殺したいと思わせたのだ」

 薔薇戦争の最中、義父と夫を失った未亡人アンの元に、よりによって義父の葬儀の席に、下手人であるヨーク家のリチャードが現れ、こともあろうに彼女に求婚します。
 人殺し、夫と義父の仇、と罵るアンに突きつけたのがこの台詞です。一見、凄まじい口説き文句、殺し文句ですよね?でもこの言葉には一片の真もありません。なのに彼女はリチャードの求婚に応じてしまいます。
 ここからは私の解釈、私がアンだったら、という想像の話ですが、アンもそれは重々承知、リチャードの言葉を額面通り受け取ってはいないと思います。リチャードが自分に求婚するのは、王位に就くために自分の実家の力が欲しいから、ただそれだけだということを判っている筈なんです。

 しかしですね。

 ジョゼフィン・テイ「時の娘」や最近の研究により、シェイクスピアに造られた兄殺し、甥殺しの悪党というリチャード像は見直されていますが、とりあえず『リチャード三世』においてはそういうリチャードです。せむしのヒキガエルと嘲られながら肚の中で野心を燃やし、王位に就くためなら自分を憎みきっている女の前に身を投げ出し、これほどまでの強烈な言葉を吐いてしまうリチャードに…私だったら、落ちます。この男の野望が成就するのを見てみたい。それだけのために、愛のない結婚に応じます。
 人を狂わせるのは「あなたを幸せにします」よりも、「あなたのために世界を滅ぼしてさしあげましょう」という言葉なんではないでしょうか?嘘か真かなんて、問題ではないのです。



「もう兄さんなんか必要ないんだ!もう兄さんなんか必要ないんだよ!」

 虚弱な体に生まれ、周囲に嘲られ、双子の兄以外に心から自分を思ってくれる人を持たず、ずっと兄に縋って生きてきたレイストリン。数多の犠牲を払いつつ、彼は唯一の才能である魔術を極め、ついに神に挑戦する力を得ます。そのために多くの人々を苦しめ、さらには自分を愛してくれる人をも裏切って。そして…それは成功する筈でした。この不条理で残酷な世を統べる神々を滅ぼし、彼が支配する世を造る一歩手前まで来て、立ち塞がったのは最愛の兄キャラモンでした。未来への旅から帰還した兄は、弟に自分がしようとしていることの結果を見せます。生きとし生けるもの全てが滅びた、虚無の世界を。

「レイストリンは誤りを犯した――おそるべき、悲惨な誤りを。しかし、あいつはおれたちにもめったにできないようなことをした――その誤りを率直に認め、直せるところはあくまで直そうとしたのだ。たとえ、自分が犠牲になろうとも」(セカンドジェネレーション上巻「受け継ぎし者」)

<暗黒の女王>に挑戦するために入った奈落(アビス)から、自分を愛し力となってくれたにもかかわらず自分が裏切った二人の人間―キャラモンとクリサニア―を送り出し、自分は女王を食い止めるためにこちらに残り、向こう側から扉を閉ざしてもらうこと。彼はそれを選択します。女王が予言した永劫の責め苦を受けることを承知で。
 向こう側から振り返り、<暗黒の女王>が彼を引き裂く姿に怯み、扉を閉ざすことを躊躇うキャラモンへの最後の叫び。

 これは文字通りの意味ばかりではないと思うのです。共に生まれ、常に共に在り、自分が兄を必要とする以上に、弟が自分を必要としてくれることを必要としていた兄への、ひねくれた愛情表現のように感じるのです。
「兄さんにはもうぼくは必要ないんだよ」

 ページの最後に、マジェーレ兄弟についてもう一つ妄想があります。



「everything is ready…Lt.」

 これのどこが「愛の言葉」なのか。それを説明するには「戦闘妖精・雪風<改>」「グッドラック 戦闘妖精・雪風」を読んで頂くしか。それでもやっぱりこれが愛なのかって追求されると、私には愛に感じられるんですって答えるしかありませぬ。

 以下、ちょっとだけ脳裏をよぎった妄想。普段の私の雪風観とは違います。ほんの気の迷いです。

<改>、グッドラック、アンブロークンアローを通じて、雪風の後部座席には正規のフライトオフィサ他、ブッカー少佐やフォス大尉などが搭乗しています。しかしパイロットシートには、ほぼ深井零しか乗っていません。零がダウンしている時は無人機として出撃したりしていますが。
<改>の最終話「スーパーフェニックス」で、ジャムが用意した偽のTAB14に着陸させられた雪風は、ジャム人間たちの操作を拒み保護装置を作動させます。零以外の人間は触るな、とばかりに。
 零を乗せて偽TAB14を脱出したものの、ジャムに撃墜される雪風。一緒に死ねるならいい、という零の願いを裏切り、雪風は近くに来ていた、完成したばかりの後継機FRX00に自己を転送します。完了するや否や零の体を射出し、新たな機体FRXで古い機体スーパーシルフを焼き払い、帰還します。パイロット達の無事を確かめることもせず。

 FRXのパイロットシートには退役寸前のサミア大尉、後部座席には零の身を案じたブッカー少佐が乗っていました。「(雪風の)パイロットシートには、ほぼ深井零しか乗っていません」と書きましたが、唯一の例外がこの瞬間です。雪風となったFRXの高機動に耐えられず、サミア大尉は頸を折って即死、ブッカー少佐も頸を傷めます。FRXという機体に感じた危険性、恐怖がとっさに自分の頸を護ったと少佐は考えています。一方で、何故FRXは乗員を殺しかねない高機動に入る前に乗員を射出しなかったのか、雪風は錯誤に陥っていたのか、と疑問を発しています。

 そこでですね。ここからやっと妄想です。FRXに生まれ変わった雪風は、そこに、パイロットシートに零以外の人間がいたことが許せず、サミア大尉を「殺した」のだったりしたら、怖いなあ…なんて。
 はい妄想です、気の迷いです。雪風には、そんな人間めいたどろっとした感情なんて持ってて欲しくないです。ジャムと戦うために必要なものは利用し、不要とあらば切り捨てる、容赦ない戦闘知性体であってください。例え「愛する」相手であっても。



「そうよ、瑠璃は墨染めの白拍子なの。そして吉野君と舞を舞うの…!」

 どんなものにも、どんな思いも、人を救う一方で滅ぼす力があるのでしょうか。幼い日の美しすぎる思い出ですらそうですか。

「やはりあなたは…わたしを滅ぼしましたね。
これは罰なのでしょうね…愛執を断てなかったわたしへの…」

 本当に、瑠璃姫を殺せなかったことを後悔していますか?異母兄のことも。…尋ねるまでもありませんね。あなたが無事吉野に辿り着いたと信じています。



「レオナール…それでも私はあなたのことを…愛していたわ…」

 どのルートであれ、「タクティクスオウガ」をプレイした人なら、この「それでも」の四文字の計り知れない重さに説明はいらないでしょう。
 N>L>Cルートの順にプレイしてきて、正直アロセールというキャラは嫌いでした。しかしCルート第四章まで来てうっかり死なせてしまい(リセットしてやり直しましたけど)この台詞を見て、ふっとそれまでのわだかまりが抜けました。わかっているなら、それでいいよ、と。
「運命の輪」(未クリア)で、バルマムッサの真相を知るシーンではこんな台詞が追加されてましたね。

「どうして彼だけに、それを負わせたの?」



「御意…麗しき、我が星の神子様……。」

 舞台は戦時下、状況は絶望的、国は滅亡の危機にあります。
「星の神子様」とはウィンダス連邦の首長、女王に等しい立場です。
 その恋人カラハバルハは召喚士で、ついに状況を打開する最後の手段、神獣フェンリル召喚術を完成させたことを報告し、神子様に決断を迫ります。それを行使すると、彼は死んでしまうことは二人とも承知なのです。
 激しく葛藤し涙する神子様。しかしついに命を発します。

「カラハバルハ…、ウィンダスを、救ってください…」

 他に何が言えたでしょう。他にどんな言葉を返せたでしょうか。

 しかーし、このような「自分のために死ねと命じてください」という台詞に対し、予想外の、しかしいかにも彼らしい返事を返した主君もいます。いつか必ず別の機会に取り上げます。



「父さんを助けたかったんだ。この街の力を使って…。
ぼくが生まれたとき、父さんがそうしてくれたように。
今度は僕が助けたかったんだ」


「魔」が支配する街、レアモンデ。その力を求めて争う複数の勢力。謎と裏切り。改竄された主人公アシュレイの記憶と、それを翻弄する幻影。それら全ての中心にいた彼の本音がこれでした。しかも、今の自分じゃなくて、幼く何も知らなかった、ひたすら父を慕っていた頃の自分、異母弟とそっくりの姿を欺きながら。
…あざといにも程があるわっ。



平和より自由より正しさより
君だけが望む全てだから


「愛の言葉十撰」という企画自体はずっと前からあったものの、最後の一つが決まらず、蔵書やゲーム台詞サイト(自分のサイトも含む)をめぐっていて心に触れたのがこれでした。タクティクスオウガで、三ルートをクリアした後改めてLルートに入る時、去っていくヴァイスの背中に向けて呟きたかった言葉です。君が救われるためなら、僕がこの手を汚そう。
 歌詞検索ついでに曲もiTunesで買っちゃいました。そしたらまた別の妄想が。



 蛇足。
「BEYOND THE TIME」のこの部分が、マジェーレ兄弟のテーマに思えてしかたがないです。

You can change your destiny 時の向こう
You can change your future 闇の向こう
We can share the happiness 捜してゆく
許し合えるその日を

「伝説」終盤で、時間旅行で哀しむべき未来を見て、どんな手段を使ってでもレイストを止める覚悟を固め、奈落(アビス)に向かうキャラモン。
「消えた月の竜」で、タキシスに盗まれたクリンを捜し見つけ出すレイストリン。死せる魂の身で、神々にもできなかったことをやっちゃうんだからやっぱり最強ですよね、はい。

2014年8月31日日曜日

夏の終わりに

今日は生合唱、混声合唱団アミーゴさんの第10回発表会を聴いてきました。
曲目は「月下の一群」混声版、「山田耕筰による五つのうた」
と馴染みの曲が並んだところで
信長貴富「スピリチュアルズ」の迫力にやられました。

いっしょに歌いましょう、という企画もあったんですが
「世界に一つだけの歌」も「花は咲く」もサビしか知らず
むしろプログラム中のガチ合唱曲の方が歌えるわーとか思ったり(笑)
なんとか二曲とも団員さんについていって歌いました。

喉も腹筋も、跡形もなく衰退してるのは判ってましたが
軟口蓋が上がらない、ちゃんとした口の開け方すら忘れてる、
てのは軽くショック。
もういいです聴く方専門で。

その後霞ヶ関の路上で、出遅れた蝉の幼虫に遭遇。
とりあえず土と樹のあるところに移動させましたが
今から羽化して配偶者探せるのかい君は?


以前、蝉を死のモチーフとして描いた小編を書いたことがありました。
(シリーズの中の番外編、シリーズごと没になってます)
ずっと地中にいれば良かったのに、出て来たばかりに一週間で死んでいく蝉。
威嚇のために握り潰される木の実。
絹糸を取るために煮殺される蚕の蛹。
生まれてきて母親に殺される子供と、母体の未来のために中絶される胎児…暗い。

君がちゃんと羽化してくれてることを祈ってるよ。

セミと言えば、元職場の先輩がお父さんの遺品を整理していたら
古い未現像のフィルムが出て来て
「自分の子供の頃とか写ってたらどうしよう?」と
わくわくしながら現像に出したら
セミの幼虫が地中から出て来て羽化するまでの一部始終が収められていたそうです。
なんていうか、うん、昆虫の変態はロマンですからね。

銀座の山野楽器でなんとなく買ってみた歌曲集。ブラームスとクララ・シューマンとロベルト・シューマンの曲が入ってます。
日本語解説なんてついてませんが、仏文や独文のあとに英文を見ると「わかる!」気がして勇気がわいてきます。








シューマンの入院中、ブラームスがクララに書き送った手紙の呼びかけが
「マダム」「親愛なる友」「シューマン夫人」ときて
最後は「愛する友よ」に変わり、そこで

「私には貴女を想い、貴女の手紙を、肖像を見ること以外何もできない。貴女は私に何をしたのですか?貴女が私にかけた魔法を解くことはできないのですか?」
(Charles Johnston氏による英訳から私訳)

とまで叫びます。入院中のシューマンの死の前年。

そう言えばこんな話を思い出しました。日本合唱連盟発行の機関紙「ハーモニー」より。
ある指揮者の先生が大学の(男声?)合唱団にブラームスの「愛の歌」を指導していた時。音も発音もリズムも完璧なのに何故かブラームスの音楽ができてこない。そこでいったん休憩にして、ブラームスとシューマン夫妻の親密な関係、シューマンの狂気と自殺未遂、彼の最後の言葉「Ich weiß」(I know)が意味するところについて、先生の解釈をひとしきり語りました。それからおもむろに練習を再開したところ、「まぎれもない屈折したブラームスの音楽」が流れ出たということです。

音楽は音楽、色眼鏡で見てはいけないものでしょうか?でも今この曲集を聴いていて、いろいろ考えずにはいられません。カバーイラストの意味するところも。


自宅近くの駅で、電灯の上のハト避けにひっかかっていた大型の蛾、オオミズアオ。
ぞっとしますが、蛾マニアにはたまらないらしいです。
漫画版源氏物語「あさきゆめみし」で、六条御息所が葵の上を呪い殺すシーンで
描かれてましたっけ。妖しく美しい、近づきたくない存在です。

日付も変わったところで、今月中に読み終えたい本がまだ二冊未完なのでした。明日頑張ります。

2014年8月19日火曜日

キュンちゃんと母

突然ですが日本一可愛いゆるキャラをご紹介します。
北海道観光振興キャラの「キュンちゃん」です。


本来高山に引きこもっているナキウサギのキュンちゃんが、
勇気を出して、エゾシカなどのかぶりものをかぶってシャイな本性を隠し
北海道各地を旅するという物語がいいんです。ただでさえ可愛いのに。
義妹が大ファンなので、お土産にといろいろグッズを買いあさりました。

昨日は小樽から札幌に帰り着いて少しぶらぶら。
札幌紀伊国屋書店は、入ったら最後手ぶらで出られない魔窟です。
ご紹介の本が私のツボにどストライクなんです。
ここで出会った本、数えきれません。
「帰ってからも買えるから」と思ってもここで買わずにはいられないんです。

変わりないな〜と思っていたらまさかの悲報。
二階のイノダコーヒーがスターバックスに変わっていました。
あぁ私のロースカツサンド。

今日は雨の中お墓参り。
実家の庭で、鋏を手に好きな花を好きなだけ切る心の贅沢。
選んだのはあじさいとギボウシと赤いミズヒキ。
しまった写真撮るの忘れました。

それから札幌に出て食事。
母のお勧めのスペイン料理の店のパエリア。

帰って戦利品整理。小樽一泊の際に借りた布バッグを返します。

元はお土産なんですが、
「あれ、クッションにしちゃったの?」












「いや、ピンでとめただけ」












外せばすぐにバッグに戻ります。
こういうこと思いついて実行しちゃう母すごい。

小樽のホテルで、TVに向かって何をしているかと思えば、データ放送の天気予報の閲覧履歴が面白いのだとか。それまでにこの部屋に泊まった人が、どこから来てどこに帰るのかが判るといいます。
道内各地の地名に混じって、世田谷区とさいたま市の履歴がありました。なるほどね。











他にも、私のお古のMacを使って
デジカメで撮った孫や庭の花の写真を
きれいに配置したカレンダーを作ってみせてみたり。
レイアウトソフトなんて入れてないのにどうしたのかと思ったら
Excelで作ったとのこと。
なるほど、自在に写真をレイアウトしつつ、
本体のカレンダー部分は崩れずまっすぐに数字を配置できて、
特定のセルの色付けなんかも簡単です。

発想力はすごい母だけど、物覚えは悪いです。
「ほらあの、ルドベキアで調べてみたら」
「ウィキペディアのことだよね?」
もはや覚えさせるの諦めました。ルドベキアでいいです。

2014年8月18日月曜日

帰省日記 余市・小樽編

全然涼しくない、地元北海道は江別市に帰省中であります。
私が上京してからは、毎夏母と一泊旅行するのが通例で
今年は小樽方面、余市町にまで足を伸ばしてきました。


余市ワイナリー(写真)の職人魂。
他、ニッカウイスキー工場(竹鶴政孝氏設立)、
宇宙飛行士の毛利衛さんの出身地であることにちなんだスペース童夢など観てきました。
秋からの連続TV小説の舞台になるそうですが、派手な商戦はなく
駅と商工会議所にひっそりと旗とポスターが掲げられているだけという点に
無駄に騒がない道民性を感じます。

飛行機でダルビッシュと同乗しても騒がない、噂しない、
さらりとスルーするのが北海道民。
そもそも私はその時気付きすらしませんでしたが。あれだけ目立つのにね(笑)


夜は小樽で一泊。お寿司とつぶ刺し。これは道外ではなかなかありつけません。


夜の小樽運河。お盆もすぎて静かなものでした。

 小樽に行くと毎度足を運んでしまうヴェネツィア美術館。塩野七生氏『海の都の物語』を読んで以来、一度本物のヴェネツィアに行ってみたいような、でもあそこに描かれた「ヴェネツィア共和国」を期待して行ってももうないんだから、それなら想像のままにしておきたいような、そんな気持ちを抱えた憧れの都市であります。
とりあえず王国よりも連邦よりも「共和国」に燃えます。「帝国」もいいですね。はい脱線してますね。
ショップにて、今回はミルフィオーリのペンダントを買ってみました。



今やどこででも買えるルタオのドゥーブルフロマージュですが、
冷凍していないできたてを、ルタオ本店のカフェで味わってきました。

さらに展望台に足を運んだら、謎の大型客船。調べてみたら英船籍のダイヤモンド・プリンセス号らしいです。

http://www.princesscruises.jp

この後函館を経由し青森でねぶた祭を見るのだとか。






小樽と言うと他にも祝津のおたる水族館とか、
ロープウェイで天狗山に行ってシマリス公園でシマリスまみれになるなど
いろいろ楽しみがあるんですが、今回はまあさらりと。
来年はどこ行きましょうかね〜

2014年8月2日土曜日

GODZILLAってこんな話

 今日観てきました。その後飲んできました。そのまま電車の中でまとめた話。

 昔々、地表に放射線が満ち満ちていた頃、放射線を食べる生き物が棲息していました。ある場所で二匹の雄雌の幼体が成長します。

雄「羽化したら、僕とつがいになってくれる?」
雌「うん!」
雄「じゃあここで一緒に蛹になろうね」

 しかし運悪く二体の蛹は生き埋めになってしまいました。その間に放射線は激減、地表には大きい生き物や小さい生き物がいろいろ現れます。

 1999年のちょっと前。
雄「羽化した。雌はまだかな〜。お腹すいた。ご飯どこ?」
 雄はご飯(放射線)を求めて北へ旅します。

1999年。雌が蛹のままどこかに拉致される一方、雄は日本の原発へ。
雄「やっとご飯見つけた…あれ?」
 雄、気絶させられて地下に監禁されます。

 ちょっと後、ネバダ州の廃棄物置き場。
雌「ここどこ?雄、どこ行ったのー?とりあえずご飯食べて栄養つけよう」
 雌、周囲の廃棄物を食べつつ懸命に雄を呼びます。

 2014年。
雄「なんかどつかれて目が覚めた…」
雌「雄ー!雄どこー!」
雄「雌、そんな遠い海の向こうに!ていうかさっきから君の声、天敵に聞かれてる!」
雌「ええっどっどうしよう!」
雄「僕が飛んでそっち行くから!準備して待ってて!」
雌「こっちも沿岸に向かっておくね!」

 雄、ハワイで天敵ゴジラさんと遭遇しつつも、なんとかカリフォルニアに辿り着きます。
雄「やっと会えたね!」
雌「来た、雄来た!これで勝つる!」
雄「はいこれ、僕らの卵の為にごちそう拾って来たよ^^(メガトン級核ミサイルを口移しで与える)」
雌「ありがと^^(はあと)」
ゴジラさん「リア充爆発しろ」
雌「天敵来た!」
雄「ここは僕が引きつけるから、早く卵を!」

 ごちそうの周りに卵を産み終えた雌も参戦し、愛の力でゴジラさんを圧倒します。だがしかし。

雄「あ、巣に火の手が!」
雌「卵が!」

 時既に遅し。哀れ卵達は小さい生き物の手で焼かれてしまいました。

雌「たまごーーーーー!!!」

(ここの雌の絶叫、もっと悲痛に表現しても良かったと思うんですよ)

 そしてそこには腰を抜かした小さい生き物の姿が。

雌「お〜ま〜え〜の〜し〜わ〜ざ〜か〜」

 そこに襲いかかるゴジラさん。必殺ゴジラブレスで雌を圧倒。その間にごちそうを抱えて必死で逃げる小さい生き物。雄、助けに入るも、ゴジラさんの尻尾でやられてしまいます。

雄「ごめん…雌…卵達…」
雌「雄ー!小さい奴、貴様だけは逃がさん!」

 雌、必死で小さい生き物を追って行きますが、再びゴジラビームで焼かれてしまいます。

 見事リア充どもを滅ぼしたゴジラさん。小さい生き物の建物や乗り物を壊さないように海底に帰って行きます。そんなことをしたら自分が痛い目にあうのを知っているのです。

芹沢博士「人間が傲慢なのは、自然は人間の支配下にあり、
その逆ではないと考えている点だ」

 おしまい。

読み手人格R(reader):結局何が書きたかったんですか?
書き手人格W(writer):ゴジラさんの「リア充爆発しろ」。
 いや、卵焼かれた雌が可哀想だったんです、本当です。
R:信じておきます。じゃあ真面目な文章に戻ってください。
W:はい。GODZILLA公開終わったら削除します。


2014年7月3日木曜日

無題

「神」とは何ですか?

 進化論者であり、神を信じないけれども神は実在すると考える私はこう答えます。

 錯覚です。
 晴れた日中に頭上を仰げば、青い空が見えるのと同じくらい錯覚です。
 傷つけられれば痛みを感じるのと同じくらい、錯覚です。

「青い空」が錯覚でしかないことは皆さんご存知ですね。そこにセルリアンブルーの天蓋は存在しません。大気中で、太陽光線に含まれる青い光が散乱する様が見えているに過ぎません。
 そして「青」という色もまた錯覚です。実在するのは450-495nmの電磁波です。それを受け取った網膜の細胞が視神経に伝え、それがもたらした信号が脳に生じさせる感覚が青です。あなたが感じている「青」と、私が感じている「青」が同じ感覚であると保証するものは何もありません。

 傷が痛いのも錯覚です。傷は痛みません。その場所の痛覚受容器が神経に伝えた信号が、脳に到達して感じさせるものが痛みです。傷の痛みがその人に取って紛れもない現実であることは、否定しませんが。麻酔薬は素晴らしい発明です。

 私の世界には神は居ません。仮に全知全能で、人や世界を創造した存在がいたとしても、私はそれを畏怖しないし、心を預けたり命を懸けることはしません。

 しかし世界中の少なからぬ人は、程度の差こそあれ神を信仰し、その存在を信じています。個人個人の問題ではなく、古今の多くの国、多くの民族には宗教がありそれぞれの、さまざまな神がいます。統計的に考えて、それは偶然ではないのでしょう。人間が神を求めるのは普遍的なこと、人間の本能なのでしょう。

 なぜ人間は本能的に神を求めずには居られないのでしょう。

マキャベリ的知性と心の理論の進化論」という書物があります。内容は難解なので説明は割愛します。結論から言うと、人間を含む霊長類の知性は、道具を作り利用する能力として進化してきたのではなく、群れを構成する他の個体との関係、お互い協力したり、利用したり裏切ったりしながら、自分の有利に生存を続けて行くために発達したものである、というのです。

 人と、他の霊長類やまた別の動物の知性の差異を比較するとき、人間にあって他の霊長類にない性質としてまず目につくのは、人はさまざまな道具を作り使うことで、自らの生存を有利に運んでいるということでしょう。

 だから昔の類人猿学者は、類人猿の知性を、道具の利用能力で測ろうとしました。手が届かない高さにバナナを吊るし、回りには木箱、棒などの道具を置いておきます。チンパンジーはそれらを使ってバナナを入手できた。しかしリスザルなどの原猿類にはできなかった。故にチンパンジーの知性の方が優れている。そんな考えが長らく支配的でした。

 しかし違うのです。道具を使うことはできなくても、原猿類は群れの仲間と高度なコミュニケーションを行う知性を備えていました。自分の有利な生存の為に、時には協力し、恩恵を施して好感を得、またあるときは自分の目的の為に利用し裏切り、さらには近づきたい異性にアプローチする為にライバルを排除させたりなどということまでやってのけていたのです。バナナを手にする為に木箱や棒を利用する、などとは全く違う知性が、類人猿の知性の起源だったと語るのです。

 知性とはもともと、自分と同じ心を持つ相手との相互関係を築くためのものだった。贈り物をすれば好感を持ち、乞い願えば自分の為に働いてくれ、裏切れば罰をもたらし、謝れば許してくれる、(言語でなくても)話せばわかりあえる、そんな存在が、知性の対象でした。

 そうだとすれば。

 発達した知性は、その、他個体に対する「話せばわかる」という考えを、無生物である自然界にも適用してしまった。貢ぎ物(贈り物)をすれば好感を持ってくれ、祈れば(乞い願えば)望みを叶えてくれ、罪(気に触ること)を犯したなら罰を受けることで許してくれる、そんな存在が、目に見えなくても存在するのではないか。

 そのような錯覚、思い込みが「神」の起源だと私は考えます。

 私は神を信じません。仮に神の存在を目の前に突き付けられても、それに「trust」や「belief」を置くことはしません。
 私の考える「trust」とは「囚人のジレンマ」を共にプレイできる、協調してお互いの利益を追求して行ける、そういう信頼です。
belief」とは「Belief」で語ったような思いです。あるいは5月に書いた小説の登場人物にこんな台詞を言わせています。

「真の信頼とは、この人は絶対に自分を裏切らないだろう、という思い込み、盲信のことではありません。 この人が自分を裏切るとしたら、それはよほどのことあってだろうから、何であれ自分はそれを受け容れ、赦すだろう、という覚悟のことです」 
 私がbeliefを置いて、財産や心や、あるいは命を預けた結果が「外れ」であっても、そうした相手を恨むことはしません。

 神なる存在にtrustbeliefを置くことは、何かを預け委ねることはできません。畏怖することもしません。「quia pius es」で語った通りです。

 しかし世の中には、その時点の私が恐ろしくて言葉にできなかったこと、神は本当は慈悲深くも何ともない、祈りを聞き届けはしない、全知全能でもないということを理解した上で、それでもなお神を信じるという人が居るのでしょう。

 そのような人を私は畏怖します。そのような人の心の中にこそ、神は実在するからです。財産や心や、あるいは命すら賭けて後悔しない、させない、絶対的な存在というものが。

 そのような境地にある人には、今更言うまでもないのでしょうが、でもやっぱり言わせてください。どうか忘れないでください。あなたの神はあなたの神でしかないということを。それが普遍的なものだと、他者にも適用できる絶対的な真理であると、どうか錯覚しないでください。あなたの神の名の下に血が流れない為に。

 私の世界に神は存在しませんし、今後も求めることはないでしょう。進化論を含む、心を持たない自然法則が支配する世界において、私は夢を見、物語を綴り、歌を歌い、人を愛して生きていくことができますから。


 ただできれば、私の命が終わるとき、苦痛を感じる神経は麻酔されていてもらえるといいと思います。願わくばそれは晴れた日中で、病室の窓から青い空を仰ぎ見ることができたなら、なおいいと思っています。