2014年3月14日金曜日

100パーセントの感傷

 ホワイトデー三話の最後。二話までは男性って哀しい、という話でしたが、今回は「羨ましいっ、妬ましいっ!」と叫んじゃいます。

 働いていた頃、労働組合の集まりかなんかで、セクシャルハラスメントや男女差別を受けたことがないか、しつこく聞き取り調査されたことがあります。何もなかったので何も答えようがなく、うんざりしながら職場に戻ってふと思いつき、同い年の同僚に聞いてみました。

「男に産まれてきたかった、って悔しい思いしたことある?」
「ないね」即答する彼女。
「私はあるよ」
 にやりと笑って、
「ものすごーく上手い男声合唱を聴いた時」
「座布団一枚!」

 混声合唱をやっていた大学生時代、近隣の男声合唱団の演奏会にも欠かさず足を運んでいました。また、混声合唱団内でも、有志で内輪で男声のみで歌ってたりしたのを間近に聴きました。混声合唱にも、女声合唱にもない何かがそこにはありました。
 なんだろう、この感じ。声質の揃っていること。それでいて、混声に劣らない音域の広さ。いやそういう技術的な問題ばかりではなく。
 もともとは混声合唱向けに作られ、後に男声合唱に編曲されたバージョンを聴いてもさして物足りなさは感じない。なのに、数は少ないけれど男声から混声に編曲された曲を歌っても、何か違う、何かおかしい。どうして。

(毎度横道にそれますが、中学一年の間だけいた学校の合唱部は女子しかいませんでした。でも混声合唱曲歌いたいね、てことで、男声部をオクターブ上げて女子が歌ってました。当時の私はばりばり高音が出たので、テナー歌ってたことが多かったですね。『海の歌』の「海の匂い」とか、『土の歌』の「大地讃頌」とか。
 その年のNHKコンクールの前、声出しのために広場で適当に「大地讃頌」を歌ってました。もちろん無伴奏で。それを聴いた他校の先生から「いつ『土の歌』の女声版が出たのですか?」と聞かれたそうです。それなりに決まってたってことでしょうか)

 いくつもの男声合唱曲を聴いていて、これは絶対に混声や女声では表現できないだろう、と思わされるものが数多くありました。
 演奏会後のアフター(ステージがはねた後、ロビーや屋外で観客の間近で歌われるアンコール)の定番、「ウ・ボイ」「斎太郎節」「Ständchen」「雨」、いずれも男声の世界です。「シーシャンティ(海の男の歌)」、「吹雪の街を」、ああもう数え上げればきりがない。
 何が違うの?どうして女の声はここに入っていけないの?と長年思ってきたんですが。

 三好達治作詩、木下牧子作曲『アンファンス・フィニ(過ぎ去りし幼年時代)』という男声合唱組曲があります。この第一曲「アンファンス・フィニ」の冒頭のヴォカリーズ(歌詞なしで、Ahなどで歌われる部分)が好きで好きで、ほとんど暗記しているそれを脳内で再生していてふと思いました。

1分間試聴、冒頭のヴォカリーズは入ってます)

(こちらは最後まで聴けます)

 また話が飛躍しますが、いわゆる薄い本を作る乙女達は何故ボーイズラブに走るのだろう、という疑問が同時に解けました。混じりっ気なしの、100パーセントの感傷がそこにあるからです。
 女は、いかに感傷に溺れようとも、必ずどこかに現実味、生々しさを残した生き物です。だから、完全な感傷の世界に浸りきるためには男同士でくっつけるしかないということなのでしょう。
 歌声もそうなのです。女声の持つ血の匂いが、男声合唱の純粋な世界を穢してしまうのです。悔しいことに。

 負けっぱなしというのも悔しいので、じゃあ女声もしくは混声でしか表現できないものって何よ?と思案中ですが、一つの答えは「狂気」です。女声は狂っても美しく在れる。しかし男声が狂う時、それは音楽ではなくなってしまうような気がします。
 文学や演劇にもそんなところないでしょうか?狂えるオフィーリアは美しい。しかしリア王の狂いぶりは見苦しい(と私は思います)。

 ひとつの例として、大手拓治作詩、西村朗作曲の女声合唱組曲『秘密の花』の「ゆびⅡ」(原詩タイトル「頸をくくられるものの歓び」)を挙げてみます。男が恋人に向かってこう請うのです。

            あなたの ゆびのなぐさみのために
            わたしのほのじろい頸をしめくくつてください。

            あなたの美しい指で わたしの頸をめぐらしてください。

 妖しく美しい曲想と和音の中でその願いは叶えられ、歌は一旦死を迎えます。しかし続いて、この上なく美しい旋律に乗って清らかな天使が舞い降ります。

            (わたしの頸は)
            あなたの きよらかなたましひのなかにかくれる。

 これでハッピーエンドかと思いきや、清らかな旋律は徐々に狂気を帯びていきます。天使が狂って堕ちていくのか、それとも恋人を絞殺するという行為が至高に高められていくのか…上下の感覚を失った酩酊状態の中で曲は終わります。あくまでも美しく。

 これ、もしも男声合唱で表現されちゃったら立つ瀬ないなあ。西村朗氏の大手拓治三部作のあと二つ、『まぼろしの薔薇』『そよぐ幻影』は混声で書かれ、前者は男声版も出ているそうですが、どうかお願いしますよ西村先生。


(参考サイト:日本詩人愛唱歌集様

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