2014年3月13日木曜日

戦う性

 ホワイトデー三話の二話目です。

 年末年始、映画『永遠の0』にはまりました。原作は既に読んでました。原作の魅力的な要素がいろいろと割愛されているという批評もあり、それにも同意する部分はあります。しかし映画には映画ならではの演出、表現が見事に活きており、名作だと思います。

 いい映画を観た後って、必ず「もう一回観に来よう」と思うものですが、実際にそうしたのは『マトリックス』『グラディエーター』『スターリングラード』に続いて四作目です。『マトリックス』『スターリングラード』は二回観たときの同行者が違ったので、ついでという感じでした。一人で二回観たのは二作目ですね。

 二度目のときは、一度目とは違うところに着目するものです。「永遠の0」の場合、岡田准一演じる主人公、宮部久蔵の顔をひたすら見てました。特にあのファイナルカット、あれこそは小説では表現し得ない、映像の凄みですね。スクリーンいっぱいに写し出される、敵空母の艦橋に激突しようという瞬間の、宮部の顔のどアップ。

 一度目は、その眼だけに吸い寄せられていました。しかし二度目で、顔全体を見ていて気が付きました。最後の瞬間、宮部は眼は真剣なまま、口元だけでニッと笑っているのです。
 多くの特攻機が敵艦に辿り着けずに撃墜されていく中、自分は艦橋に激突するところまで持っていった。やってやった、という勝利の笑み。戦友に向かって、仇は取ったぜ、と言っているようにも見えました。

 その笑顔が、哀しかった。

 ここで笑えるのが男性という性、戦う性なんだ。

 原作でも映画でもしつこく語られているように、宮部は決して好戦的な人間ではなかったのです。「家族のために、生きて帰りたい」と強く願っていたのです。それが何故特攻しちゃったのか、それはこの作品のネタバレなので避けますが、それでも、それなのに、ここでこうして笑えるんだ。

 と言いながら次はネタバレ全開で語ります。
 ゲーム『ゼノサーガepisodeⅡ―力への意思―』のラストバトルは、兄弟同様に育った二人の男の死闘、殺し合いです。自分でプレイした訳ではないので詳しくは知りませんが、二人とも普通の人間ではなく、戦うために作られた存在です。
 決着がついた後、破れて死に瀕した敵方は、勝利した主人公側にこう語ります(記憶曖昧)

「楽しかったろう」
「ああ。…それは俺たちが機械だからなのかな」
「違うな。男だからだ」

 そこで「楽しい」と思えるのですね。それがあなた方という存在なのですね。

 死に方にもよりますが、緩慢な死に瀕した人間の脳には脳内快楽物質が分泌され、幸せに、苦痛を感じずに死んでいけるといいます。
 前節「雄性の復讐」で語ったように、雄は戦って、多くは子孫を残せずに死んでいきます。彼らは、それでもそこに楽しさを、充足感を抱いているのでしょうか。コンバットハイ?脳内麻薬?それは哀しい命に対する自然界の贈り物でしょうか、それともただの欺瞞でしょうか。
 いや、自然は「欺瞞」などをはたらきませんね。やはり贈り物なのでしょう。なんて残酷で、なんて優しい。


 そんな気持ちを抱きつつ、これ書いた日は旦那の好物を作ってました。

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