2014年2月17日月曜日

その美しい日に思つた事を。

あれから三日、書きかけ(というかほとんど書き上がり)の
小説のラストが決まらないまま、ぼんやりと音楽を聴いたり
自分の文章を読み直したりしています。
バレンタイン三話における「淳」の扱いが少なすぎるかなと
思ったので、彼にまつわる思い出を少し紹介してみましょう。

私も「淳」も、札幌周辺の他の大学合唱団との交流に
(エール交換、チケット交換、ジョイントコンサートなど)
関わる役職についていたため、他大学の演奏会には
都合がつく限り一緒に出かけていました。
その中でも「淳」が強く感銘を受けていたのが
小樽商科大学グリークラブの歌う男声合唱組曲『吹雪の街を』の
終曲「吹雪の街を」でした。

歌詞&解説
http://www.geocities.jp/bata64_2004/gassyou/hubukino.html

動画(関西学院グリークラブ、2010年)
http://www.youtube.com/watch?v=RxnvOdjRfYc
(終曲「吹雪の街を」が始まるのは14分過ぎです)

「淳」は高校で男声合唱をやっていたのですが
この曲は初聴きだったそうで(私もですが)
「十九の時にこの曲を聴けてよかった」と熱く語っていました。

余計なことは何も考えずに歌に没頭していられた
あの頃はまさしく「美しい日」だったね。

通常の話し声とは違い、ちゃんと全身で発する歌声のピッチは
身長とは逆比例する傾向があります(あくまで傾向ですが)
楽器もそうですね。小さい方が高い音が出るでしょう。
「淳」は例外で、高い所から高い声を出していました。
成層圏をかっ飛んでいく声でした。

『季節へのまなざし』の終曲「ゆめみる」。
『そよぐ幻影』『まぼろしの薔薇』『方舟』。
『ティオの夜の旅』。
夏の朝の成層圏そのものだった君の声も
もちろん忘れてはいないとここに記し留めておきましょう。

カルテット(一部一人、四人で歌う形態)でも一緒に歌ったね。
甃のうえ」はソプラノEちゃん、ベースKちゃんと一緒に。
七夕コンサートの「ひぐらしの歌」はソプラノSちゃん、
ベースが誰だったか思い出せない、ごめん。

(ちなみに私の声は細く薄く、高音が出ないのでアルトでしたが
さりとて深みのある低音も出ないという使えない奴でした。
声量も貧弱でしたし。
その代わり、音取りと暗譜の速さでは四年間トップを切って
アルトをリードしていたつもりではありましたが)

でも「美しい日」に戻りたいとは思わないよ。
今が最高だとわかったから。
本当は美しいばかりではなかったあの時間を
美しいと思い出せる今日、生きていた甲斐があったと思う。
(注:別に病気などで死に瀕している訳ではありません)

諸々の犠牲を払って就いた職を、体を壊して退職してから
自分が生きている意味って何だろうと考えてきましたが
こうして思うことを書き残すことで
巡り巡って誰かの目に触れ、何らかの想いを想起することがもしあれば。

さて、いい加減に小説の蹴りをつけるとしますか。
続きのプロットも押してますし。

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