2014年2月14日金曜日

『救済』の舞台裏

 バレンタイン三話の最終回です。

 SF小編『救済』の現代編に、淳と梨花子という恋人達が登場します。舞台は北大、二人は四年生。梨花子は幸運にも、望みうる限り最高の就職先を得ます。しかし、淳の方は優れた実務能力を持っていたにもかかわらず、学業が振るわず就職に難儀します。選り好みしなければ、適当な就職先はあったんですが、梨花子に釣り合う地位を求めた彼はそれを蹴り、進路も決まらないまま、卒業すら怪しくなってしまいます。そんな中、父の臨終、明かされる自分の出生の秘密…以下SFらしい展開になっていきます。
 はっきり言葉にせずとも、お互い夢見ていた梨花子との将来を悲観した淳は、半ば自暴自棄になってある選択をしてしまいます…以下ネタバレにつき省略。

 この淳のモデルが、前節「無礼者」で登場した「淳」で、梨花子は私自身です。実際には私と「淳」は一歳違いで、私は留年しつつも大学院修士課程に進学し(実に八年も学生やってたんですね。親に感謝です)その甲斐とまぐれもあって、生物学で修士号を修得し、上級公務員にして研究職員という職を得ました。

 一方でリアル「淳」には「ある選択」はありませんでした。フォローしておきますと、彼は小説の「淳」同様、実務能力は極めて高い人でした。様々なコンサートの実行委員や連盟の役員などを立派にこなし、その実力は周囲にも認められていました。私も合唱団において似たような役職についていたことがありますが、彼には全く敵いませんでした。
「淳」の学業が振るわなかったのは、本来行きたかった学部じゃなかったからです。彼には他にやりたい学問があり、そっち系の大学にも受かっていました。ですが両親が北海道出身という事もあり、お試しで受けた北大法学部に、本人曰くまぐれで合格します。「北海道大学」のネームバリューに目が眩んだ両親や親戚に押し切られる形で、入学させられてしまいました。

(そんな大したものかい北大、と突っ込まれそうですが、北海道の田舎行くと、子供や孫が北大入るってのは、東大に入るのと同じくらい自慢できる事なんです。私の祖母、すっかりボケてしまって、子供の事も忘れてるのに、「孫が北大入った」ってことだけはっきり覚えてて、介護老人ホームの職員さんに自慢しているそうであります)

 運命の輪はかく回り、「上級公務員にして研究職員」に相応しい地位に拘泥した彼はずるずると留年や就職浪人を重ねていきます。このままでは、この人は破綻してしまう。ていうか既に破綻しちゃってる。そう考えた私の方から別れを切り出しました。かなりに非道い言葉で。遅すぎた決断だったかも知れません。直に会って話したら殺されかねない台詞でしたから、電話で話しました。

「結局君は、私よりも面子の方が大事だったんでしょう?良かったじゃない、一番大事なものは失わずに済んで」

 思い出しても身震いがするくらい酷いですね。しかし『救済』で出したように、私の指導教授達には、若い頃奥様に養ってもらいながら学生生活を続けてついには出世した、教授になった方が少なからずいました。実務能力は高かった、決して頭も悪くなかった「淳」にも似たようなことは可能だったと信じていたのです。でもその申し出を断られ、他に何が出来たでしょうか。

 もしも私が就職に失敗していたら。修士になんて進まなかったら。あるいは何か別の選択をしていたなら。
 その後しばらく、そんなことを考えないでもありませんでした。でもやはり勉強でも就職活動(公務員試験一本だった訳ですけど)でも、全力を出さない訳にはいかなかったのです。支えてくれた両親や先生方のためにも、自分自身のためにも、学業の中で犠牲にしてきた実験動物達のためにも。因果な商売です、生物屋というのは。生物が好きで、もっと良く知ろうと努める程に生物を殺しまくるのですから。

「その後出会って数年に渡り交際し、結婚も考えた恋人のことを思い出しても何の感慨もわかないのに」これはもちろん「淳」のことです。これも酷い言い草ですね。でも「薔薇の味」とは逆の理屈なんです。これだけは確かです、いろいろあっても、彼との日々は楽しかったし充実していた。完全燃焼だったからこそ、あとには灰しか残らなかったのです。
 どうか、それを薄情とは言わないで。どうか。

 それから何人かアプローチしてくる異性はいたんですが、多くが収入も地位も私に及ばないか、院卒研究職員という同格の人ばかりでした。「淳」のように彼らを破綻させるのが恐ろしくて、躱すなり牽制するなりしてきました。特に同格の人の方が怖かったですね。元から収入が及ばないのが明らかな人には、それを受け入れる覚悟はあったでしょうから。

 男性って不自由なものですね。

 やっと、話も気も合い、一緒に居て心地良く、なおかつ私が逆立ちしても敵わない学歴と地位の持ち主に出会った時には三十路でありました(笑)。それが今の旦那です。こんな話をしていると「自分を省みるのはいいけど、罪悪感に酔うなよ」とよく言われます。…酔っちゃってますね。悪い癖です。それが学生の頃、実験動物達への罪悪感を克服するために見い出した逃げ道でしたから。その話はまた別の機会に。
 ついでに「We’re all alone」の人のことを思い出して、ここしばらくずっと別の意味で酔ってます。

 私があの人を思い出すように、私を想ってくれた人達は私を思い出すことはあるのでしょうか?
「淳」。
大佐。
大学三年生の間だけ同級生だった、あの人と同じ恵迪寮生だった君。
自分からは決して直接私に話しかけることはなく、用件は全て机の上のメモに、意味深な一言を添えて寄越した、大学院で一つ後輩だった人。
最初の職場に研修に来ていた農業青年。
「タクティクスオウガ」の解釈を巡って対立し、後に解り合い、熱く語り合った相手。
異動先で牽制し、目を逸らし続けた人達。
誰も読まない文章であっても、決してその存在も想いも匂わせてはいけない貴方。


 勝手な願いですが、彼らがみんな幸せに、いい男になってくれているといいなと思います。その奥底に、長身ロングヘアでアルト声の、混声合唱とRPGを愛した理系女の思い出が、あってもなくても構わないから。

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