2014年2月13日木曜日

無礼者−北大混声合唱団の思い出II

 前節「薔薇の味」のあの人が卒業して、札幌に二度目の春が来て、新入生達が大勢入ってきました。その中に二人の男の子がいました。一人は後にSF小説『救済』の淳のモデルになった人です。以下仮に「淳」としましょう。ほとんど最初から私の後をついてきて、周囲にそうと知れ、噂されるのも厭わずにかまってきました。

 もう一人は…そうですね、「大佐」とでもしましょうか。訳は聞かないでください。彼はひどい無礼者でした。合唱団には体育会系程ではないものの、ちゃんとした上下関係はありました。先輩は「さん」付けで呼び、敬語を使うべし、くらいは。しかし彼と来たら、練習や公式の行事ではともかく、私的な飲み会や集まりで酒が回ると、先輩である私のことを呼び捨てにするわ暴言は吐くわ、忌々しげな目で見るわ、もう失礼極まりない。ときどき教育的指導されてましたし、「淳」も子犬みたいに噛み付いてました。でも不思議と憎めない奴だったんです。私の何がそんなに気に入らないのか知らないけど、そんなに嫌なら近くに来なければいいのに、とか思ってました。

 彼が無礼だったのは私に対してだけで、他の先輩にはちゃんと後輩として接してました。ここで気付いてあげなければいけなかったのにね。でも当時まだあの人のことを忘れられなかった一方で、「淳」に構われるのも悪い気はしなかった私に、大佐にまでは気が回らなかったのです。

 秋が過ぎ、なんだかんだで私は「淳」と付き合い始め、そして三度目の春。私と同じアルトの、素敵な娘が入ってきました。二つ下とは思えない程大人びた彼女に、私は何故か懐かれました。下の名前がかぶっていたのと、「ちゃん」付けで呼ぶのが躊躇われる大人びた雰囲気の彼女を、名字で「T」とだけ呼んでいました。
 さすがに二年生になった大佐は無礼をやめました。でないと一年生に示しがつきませんしね。経緯や正確な時期は知りませんが、四度目の春頃には大佐とTは交際していたと思います。

 いろいろあってまた一年が過ぎ、五度目の、私が卒業する春が来ました。毎年恒例の追い出しコンパ。卒業生は、入場するときのパートナーに、誰でも好きな後輩を指名してよいことになっていました。その頃ちょっと、いやちょっとどころではなくごたごたしていて、「淳」を指名するのは憚られました。ふと頭をよぎったのは大佐です。最後の最後くらい、ちゃんと先輩扱いしなさいよ。そんな意趣返しのつもりでした。
 しかし予想に反して、大佐はそれまで見たこともない、満面のいい笑顔で現れました。

「指名してくださって、ありがとうございます」

 その時初めてわかったんです。あの数々の無礼の理由が。人目も憚らない「淳」と同じ真似が出来なかった彼の忌々しさが。Tが私に懐いた訳が。
 ごめんね、大佐。
 口に出しては何も言いませんでした。ただこちらも最高の笑顔で返し、大佐と腕を組んで入場しました。「淳」やTの見守る前で。皆笑顔でした。いい日だったなあ。
 大佐も「淳」もTも写っていない、卒業生だけで写したその日の写真、今でもベッドサイドに飾ってあります。いつもはカメラに向かって上手く笑えない私の、最高のいい笑顔がそこに残っています。


 余談ですが、大佐とTは順調に交際を続け、卒業後めでたく結婚しました。式はありませんでしたがお祝い会があり、行く気満々だったのに当日ひどい風邪にやられ、出席者にお祝いの品、トトロのマグカップセットを託しました。喜んでくれたと後で報告がありました。

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