半年以上の放置からこんばんは。
バレンタインということで、三夜連続で古い恋話をお送りします。
「花を食べると純愛の味がする」
西村しのぶ氏の漫画『サード・ガール』で、美也さんのこんな台詞がありました。
恋人の涼さんが贈ってくれた薔薇を「飾るには下品だわこの薔薇」と言ってジャムに煮込んでしまいます。ついでに「ビールのあてに一ひら生食」もしています。涼さんは「薔薇の味の程までは聞けなかった」と一人ごちています。
出来上がったジャムを、美也さんは涼さんの公認(?!)ガールフレンドである夜梨子ちゃんに一瓶プレゼントします。喜んで味見してみた夜梨子ちゃんですが…
「苦いだけなのよね。食べられやしない」
それを読んだ当時確か大学三〜四年生で、恋人がいた私は、それはそうかも知れない、と思いました。純愛なんて所詮徒花よね。恋する相手に何が何でもアタックしてこそでしょ、と。いや、でも…こんなこともあったっけ…。
大学一年の頃、好きだった男性がいました。いや、「好きだった」などという軽い言葉ではないかな。かといって「愛していた」なんて生々しい感情でもなく。「慕っていた」というのが相応しいでしょうか。
合唱団の先輩で、当時その人は四年生。たった一年の交流でした。もちろん歌は上手くて、夏の合宿の食事の席で、ボズ・スキャッグスの名曲「We’re all alone」を無伴奏で歌って聴かせてくれました。話し声は高めなのに、歌うと低いローベースの声。音楽以外にも、絵画が趣味で、演奏会のポスターや看板に美しいイラストを描いていました。お酒はバーボンウイスキー、特にワイルドターキー。身長180センチ、スマートそうに見えて素手でクルミを割る握力、中身は硬派なのに人当たりは柔らか。後輩への面倒見もいい人でした。農学部生、恵迪寮暮らし。
合唱団の新歓コンパで隣の席だったのがきっかけだったと思います。第一印象は「普通に優しそうな人だな」でした。
しかしコンパ一次会がはけて、お決まりの北大寮歌『都ぞ弥生』の合唱が始まります。まず前口上の『楡陵謳春賦』。その声は、私の真横、いや頭上から響きわたったのです。
「わーれーらーが三年を契る、絢爛の響宴は実に過ぎ易し。」
「おおーっ」唱和する声。
「然れども見ずや穹北に瞬く星斗永久に曇りなく、
雲とまがふ万朶の桜花久遠に萎えざるを。」
「おおーっ」
「寮友よ徒に明日の運命を嘆かんよりも楡林に篝火を焚きて、
去りては再び返らざる若き日の感激を謳歌わん。
明治四十五年度寮歌、横山芳介君作歌、赤木顕次君作曲。」
ここから皆が唱和します。
「みーやーこーぞー、やーよいー!
Eins, zwei, drei!」
続く圧倒的な都の歌声。もちろんクラスの飲み会で既に経験していましたが、こちらは合唱団です。声量も歌い回しも桁違いです。さらに二番は転調し、混声四部で歌われます。この時はまだ教わっていませんでしたから、普通に主旋律を歌います。酔いました。
それからどんな経緯でその人に夢中になったのかは覚えていません。四年生なのに行事や内輪の集まりへの出席率は高い人で、可能な限りその背後にくっついて歩いていました。合唱団の溜まり場にもよく顔を出していました。その人がいたから、コンサートの実行委員も引き受けました。
そんな中で、気が付いてしまったのですね。その人に想う相手がいることを。私の一つ上、その人にとっては二つ下の、大人びた綺麗な人でした。打ち拉がれる一方、その女性にとってもその人は眼中にないことがすぐにわかりました。その人にとって私が眼中にないのと同じように、いやそれ以上に。ついでにその女性にも想う人がいて、こちらには公認の彼女がいました。
そんなことをおぼろげに理解したまま、溜まり場で三人で過ごした時間もありました。私は譜読みをしながら、先輩はレポートを書きながら、その人は絵を描きながら。
その当時は苦しいと感じていたと記憶しています。なのに、何故なんでしょうね。その苦しさが無性に懐かしく感じられるのは。
誰も、告白しようとはしませんでした。あの空気を、あの状態を壊したくなかったのです。「今の関係を壊したくないから」なんて逃げでしょうか?告白して玉砕して次の恋を探すべきだったでしょうか?
当時も今もそうは思いません。恋愛の成就よりも大切なことがあったんです。皆、合唱団が、歌が何より大事でした。歌が好きという理由ばかりではなく、それが自分なんて眼中にない相手と繋がる唯一の手段だったからです。恋愛沙汰で団に迷惑をかけるべからず、という強固な暗黙の不文律もあり、どうにもならなくなった人は「学業に専念するために」辞めていきました。
いや、仮に誰かが告白していたとしても、関係は変わらなかったかもしれませんね。想う相手とは別の相手に告白されて、簡単にそっちに靡いてしまうような、そんな器用な人間が集う大学でも、合唱団でもなかったのです。みんな不器用で真面目で一途でした。
しかし時は容赦なく流れ、冬の定期演奏会も終わり、その人が卒業する日が近づいてきます。その前に訪れる二月十四日。頑張って手作りトリュフと手紙を用意し、その日、溜まり場から帰っていくその人を呼び止めて手渡しました。冬の陽はとっぷり暮れ、雪がちらついていたのを覚えています。
いい返事は全く期待していませんでした。ただ知ってもらいたかったのです。もうすぐ卒業していなくなるその人に、ただの後輩としてしか記憶されないのだけは堪えられなかった。知ってもらいたかったんです。
手紙にはストレートな文言は何も書きませんでした。ただこの十ヶ月の思い出と、自分にとってその人がどういう存在であったかだけ。だからノーリアクションでも別に残念には思いませんでした。迷惑はかけたくなかった。知って、覚えていてもらえれば十分だったんです。
何故なんでしょうね。
その後出会って数年に渡り交際し、結婚も考えた恋人のことを思い出しても何の感慨もわかないのに、一年足らずの片思いに過ぎなかったその人のことは鮮明に思い起こすのは。例えばワイルドターキーの香りをかいだ時に。例えば「We’re all alone」の旋律を聴いた時に。
そんなことをつらつら考えていて、冒頭の美也さんの台詞を思い出しました。苦いだけだったかも知れない、その想いの価値を。
ワイン用の葡萄のような例外はありますが、美味しいお酒の原料って、それ自体を食べても美味しくない物が多いのですよね。酒米とかライ麦とか。でも、それらは歳月を重ねて芳醇な香りを醸し出します。
Once
a story's told, it can’t help but grow old.
Roses
do, Lovers too.
楽しかった思い出は、時とともに風化し色褪せていきます。「We’re all alone」の歌詞にもあるように。しかし苦く苦しかった思い出は、時を経て劣化するどころか、当時は考えもしなかった優しい味わいに変わるのですね。
これが思い出フィルターというものでしょうか。それとも自分の味覚が変わったのでしょうか。わかりませんし、わからないままでもいいと思っています。
その人は卒業後一年札幌にいて、時々OBとして顔を出していました。一年後、実家に戻っていってからは全く会っても消息を聞いてもいません。連絡手段もありません。ただ、もしも機会があったら、伝えられるものならと思います。
今でも「We’re all alone」の旋律を聴くと、あなたの歌声を思い出します、と。
今でも「We’re all alone」の旋律を聴くと、あなたの歌声を思い出します、と。
そうかあの人は知命になったのだな、とひとりつぶやいてみる。
返信削除