時は紀元前14年。
ローマ皇帝アウグストゥスがイベリアの地に築いた都。
その名も《Caesar Augusta》皇帝アウグストゥスの都――カエサラグスタ。
紀元2世紀にかけて隆盛を極めたのちゴート族の手に渡り、
8世紀にイスラム王国の首都となりサラクスタSaraqustaと呼ばれ、
12世紀にはアラゴン王国の首都としてSaragocaと名を変え
常に地域の中心都市として生き続けたその都は、
現在ではアラゴン州の州都サラゴサZaragozaとして知られる……
はい、ここに来て調べてみて初めて知りましたよサラゴサ二千年の歴史。
一昨日のアルハフェリア宮殿はイスラム時代からカトリック両王によるレコンキスタの歴史を刻む史跡ですが
今日は古代ローマ時代、建設当時の姿に迫ります。
ローマ都市ですから上下水道、公衆浴場、劇場、市場など
ローマ市民が要求するものはなんでも揃ってます。
まずは劇場! 1972年に発見された遺跡です。
(ツイッターでは闘技場と紹介してしまいました、すみません)
舞台から半円形の観客席を望みます。
こんな遺構から当時の設計を起こして
繋いで、広げて
一部は復元してみたりして
こんな復元CGが出来上がってます。お見事。
次は住宅や神殿など普通の市街地の遺跡、フォロ(foro、英語のforum)遺跡です。
当時の礎石、柱、運河などの跡。
ローマ時代の水道管の作り方。
復元トンネル。
ローマ都市の台所事情。
テーブルを囲んでソファーに寝そべって食べるのが当時の上流階級でしたっけ。
こちらは劇場跡にあった、たぶんキッチン。
出土品で再現した市場(工房?)の、書き割り人形の薄っぺらさ(笑)
公衆浴場の遺跡もあるんですが、今日は閉まっていて入れませんでした。残念。
次は港の遺跡です。内陸都市であるため、エブロ川に面したこの港が物流の要でした。
こうして平底船で荷を運びます。
こうした遺跡が地下から発見されるということは、昔の地面は今より低かったんでしょうか?
この絵はもう18世紀なので参考になりませんが。
一応現在。
こちらの表示によると昔は土地も水位も低かったようです。
川の氾濫か何かによって、土砂が堆積してきたのでしょうか。
ドイツでも、こちらスペインでも、史跡のみならず現代の建築を見ていても思います。
地震が(めったに)起きない、水害もない、土地が平坦で、台風もなければ火山の噴火もない、ついでに冬の積雪もない土地では、建築の発想から違うんだなと。
日本ではあっても厳密に日本の歴史と気候に属していない、北海道生まれ北海道育ちの私には、とりあえずドイツの風土は割と合います。
今のところ日本に帰りたい気持ちはないですが、ドイツにはちょっと帰りたいです。
明日からまたバルセロナで、帰れる()のは3日後ですけどね。