今日は生合唱、混声合唱団アミーゴさんの第10回発表会を聴いてきました。
曲目は「月下の一群」混声版、「山田耕筰による五つのうた」
と馴染みの曲が並んだところで
信長貴富「スピリチュアルズ」の迫力にやられました。
いっしょに歌いましょう、という企画もあったんですが
「世界に一つだけの歌」も「花は咲く」もサビしか知らず
むしろプログラム中のガチ合唱曲の方が歌えるわーとか思ったり(笑)
なんとか二曲とも団員さんについていって歌いました。
喉も腹筋も、跡形もなく衰退してるのは判ってましたが
軟口蓋が上がらない、ちゃんとした口の開け方すら忘れてる、
てのは軽くショック。
もういいです聴く方専門で。
その後霞ヶ関の路上で、出遅れた蝉の幼虫に遭遇。
とりあえず土と樹のあるところに移動させましたが
今から羽化して配偶者探せるのかい君は?
以前、蝉を死のモチーフとして描いた小編を書いたことがありました。
(シリーズの中の番外編、シリーズごと没になってます)
ずっと地中にいれば良かったのに、出て来たばかりに一週間で死んでいく蝉。
威嚇のために握り潰される木の実。
絹糸を取るために煮殺される蚕の蛹。
生まれてきて母親に殺される子供と、母体の未来のために中絶される胎児…暗い。
君がちゃんと羽化してくれてることを祈ってるよ。
セミと言えば、元職場の先輩がお父さんの遺品を整理していたら
古い未現像のフィルムが出て来て
「自分の子供の頃とか写ってたらどうしよう?」と
わくわくしながら現像に出したら
セミの幼虫が地中から出て来て羽化するまでの一部始終が収められていたそうです。
なんていうか、うん、昆虫の変態はロマンですからね。
銀座の山野楽器でなんとなく買ってみた歌曲集。ブラームスとクララ・シューマンとロベルト・シューマンの曲が入ってます。
日本語解説なんてついてませんが、仏文や独文のあとに英文を見ると「わかる!」気がして勇気がわいてきます。
シューマンの入院中、ブラームスがクララに書き送った手紙の呼びかけが
「マダム」「親愛なる友」「シューマン夫人」ときて
最後は「愛する友よ」に変わり、そこで
「私には貴女を想い、貴女の手紙を、肖像を見ること以外何もできない。貴女は私に何をしたのですか?貴女が私にかけた魔法を解くことはできないのですか?」
(Charles Johnston氏による英訳から私訳)
とまで叫びます。入院中のシューマンの死の前年。
そう言えばこんな話を思い出しました。日本合唱連盟発行の機関紙「ハーモニー」より。
ある指揮者の先生が大学の(男声?)合唱団にブラームスの「愛の歌」を指導していた時。音も発音もリズムも完璧なのに何故かブラームスの音楽ができてこない。そこでいったん休憩にして、ブラームスとシューマン夫妻の親密な関係、シューマンの狂気と自殺未遂、彼の最後の言葉「Ich weiß」(I know)が意味するところについて、先生の解釈をひとしきり語りました。それからおもむろに練習を再開したところ、「まぎれもない屈折したブラームスの音楽」が流れ出たということです。
音楽は音楽、色眼鏡で見てはいけないものでしょうか?でも今この曲集を聴いていて、いろいろ考えずにはいられません。カバーイラストの意味するところも。
自宅近くの駅で、電灯の上のハト避けにひっかかっていた大型の蛾、オオミズアオ。
ぞっとしますが、蛾マニアにはたまらないらしいです。
漫画版源氏物語「あさきゆめみし」で、六条御息所が葵の上を呪い殺すシーンで
描かれてましたっけ。妖しく美しい、近づきたくない存在です。
日付も変わったところで、今月中に読み終えたい本がまだ二冊未完なのでした。明日頑張ります。