2019年7月31日水曜日

Rhedaのお城

7月21日というと、日本で参議院選挙があった日ですね。
ネットで眺める与党の傍若無人ぶりと情勢に鬱々としておりましたら
上様がお城を見に行こうと誘ってくれました。

「もし与党が勝って憲法改悪されちゃったら日本脱出する」
と約束させてやっと安心して食事が喉を通った小心者です、はい。

さて来ました先はRheda-Wiedenbruck。
その名の通りRheda市とWiedenbruck市が合併してできた町です。
駅前広場ではやっぱりお城の模型がこんにちは。

駅前ほか、あちこちの花壇に植わっていた果樹。

街並みはこんな感じです。

小さな町で、少し歩くとお城の庭に。
 水車小屋です。

はいお城です。現在もオーナー一家が住んでます。
公開されている日もあるんですがこの日は入れず。




この辺の建物は大学に使われていたこともあるとか。



市街地に引っ越して1ヶ月、小鳥が! ねずみが! 
足りないのも気分が滅入る一因かと思います。
ここで補給できないかと思ったんですが。

手入れされた園内のナラ?の大木の周りに、白く元気のない一〜二年生の
ナラの幼木がびっしり生えていました。
日光が足りないのでこのまま枯れていくのでしょう。
ここにはどんぐりを遠くに運んで埋めてくれる生き物はいないようです。残念。

休耕田みたいな四角い湿地にいたアオサギ。

池のカモ。

林道のカエル。
池のアオサギに狙われないようにね。

2019年7月28日日曜日

Bochum鉱山区

7月13日土曜日。
用事でBochumという町に行ってきました。
石炭業で栄えた町で、鉱山労働者に高等教育を受ける機会を設けようということで
1962年にドイツ初のキャンパス大学が造られています。
21世紀の日本よりよほど進んでますね。

早く着いたので鉱山博物館に行ってみました。
市の祝日かなにかで入場無料になっていて
ビアガーデンもやってました。混んでました。

PSO2の採掘クエストでこんな機械出てきたなあ。

衝撃を受けると止まるようにできている鉱夫用の時計。
事故が起きた時刻が正確にわかるように、だそうです。

有毒ガス検知用のカナリヤの籠。
子供向けの解説ボードのイラストには、倒れたカナリヤは鉱夫達と共に
外に避難し、新鮮な空気を吸って元気になる様子が描かれていましたが
実際は止まり木から落ちるほどに弱った小鳥がどれだけ助かったものか。
人間より先に死ぬのが仕事だったのでしょう。

オウム事件の時にも活躍していた庭のカナリヤは、幸い「仕事」をせずに済み
その後は警察で大事に飼われて、雛も生まれたとのことです。

脱線しましたね。
こんな当時の坑道の模型とか、危なそうで寒気がします。

その後は大学植物園へ。

こうした屋外テラリウムのような展示が良かったです。

高山帯の再現でしょうか。




珍しく中国庭園なんてのもありました。
日本庭園は海外で良く見かけるんですけどね。
池の隅の方はウキクサがびっしりでした。
廃水でも流れ込んでるのかな。

あとは街中で軽く飲んでお食事してきました。
ジントニックに生バジルの葉を景気良くぶちこんだ「ジンバジル」が美味しかったです。

ここの福音教会は音楽ホールとしても有名だそうですよ。

2019年7月26日金曜日

海と空の港

あれから19日が過ぎました。
ヴェネツィアの夢に酔っていたのは7日間で、
その後は日本の参院選(7月21日)の情勢に悶々鬱々としておりました。
さあ気分一新しますよ!

7月7日、ヴェネツィアの、ひいては二週間にわたったイタリア旅行の最終日。
ずっと工事中だったホテルの中庭がやっと開いてました。

ここで朝食も摂れるはずだったんですが、ぎりぎりまで朝寝していったら
とうに満席でした。残念。

 代わりにではないですが
「大運河に面したカフェかリストランテで最後の滞在時間を過ごしたい」
と主張しました。

甘さと苦さがほどよいカンパリオレンジ。


船旅気分ですね。この後実際にぷち船旅です。

グーリエ橋の船着場から、空港行きの水上バスに乗船します。

おなじみGoogleマップ航空写真の切り貼り感……。
上中央がマルコ・ポーロ空港。
右下のリド島にも小さい空港があるそうです。

滞在中晴天続きだった空に雲が出てきました。
(空港で激しいにわか雨に降られました)

行きに乗った列車はこんな感じです。


あっという間に遠ざかる都。

葦が茂り、風がそよぎ、海鳥が佇む。
これがヴェネツィア誕生以前の潟の風景だったんでしょうか。

そこにいきなり航空機。

マルコ・ポーロ空港の港に着きました。
 ここから先は空の旅になります。
ああ、できるならヴェネツィア入りもここからこうして船で来てみたかったなあ。

海上の空港は珍しくないかもしれません。
そこから本土まで、橋ばかりではなく船で行き来できるところもあるかもしれません。
でもここまで海の旅と空の旅が密着していて、
目指す先も本土ではなく海上の都なんて他にありますか。

しかも空港の名前(愛称)も旅人マルコ・ポーロだなんて。
最後まで酔わせてくれる旅でした。

……で、終わればきれいなんですが。
この後フランクフルト(イタリア語ではフランコフォルテ)行きの便が遅れる遅れる。
隣の駐機場の、パリ(イタリア語ではパリージ)行きも競うように遅れる遅れる。
待ってるうちに貧血起こして、きわどいところで倒れるのを回避したり。
(お星様見えました)
遅れたものの、なんとかフランクフルトに着きました。
最初から後泊する予定で良かった良かった。

次は8月にロンドンの予定です。

2019年7月10日水曜日

ふわふわ探検

7月9日です。
7日夜にフランクフルトに着いて一泊、
8日にドイツの自宅に帰ってきたんですが
いまだに目を閉じるとヴェネツィアです。大丈夫か。
ここまで紹介しなかった写真を拾ってみましょう。

4日夕刻、カナレッジョ地区を一人でぶらぶら歩きます。



ワーグナーが亡くなった家を見つけました。
近くには博物館もありますが閉まってました。

現在はカジノだそうです。




鉄格子の向こうの庭。

綺麗なお姉さんのあとをふらふらと着いていったら大運河に出ました。
彼女はそこにやってきたゴンドラに乗って去って行きました。
残った私はどう見ても不審者でした。



そろそろ足が痛くなってきたので、適当な目的地を設定。
マドンナ・デッロールト教会。

適当に歩いていても、写真を撮れば現在地が記録されて
後から振り返れて便利です。

5日午前、また大運河で水上バスに乗りました。


そして6日、ムラーノから戻ってホテルで夕方まで休んで
再び散歩に出たんですが。


ほんとどうなってるのかGoogleマップ。
また適当にふらふらして帰りました。


ドイツ・レクイエムいいなあ。

そろそろ帰ろうとしても一苦労。

やっとホテルのラウンジでふー。

ヴェネツィア最後の夜の顛末でした。