うちはお盆とかお彼岸とか気にしないのです。むしろ外します。混むのが嫌なので。
そのついでの白石市巡りです。
「麦の季」の蔵王かもつけうどん。
元競輪選手のご亭主の手打ちのもちもちの麺に、いりこ出汁に焼き葱が甘いつけ汁。
また行きたいものです。
さて車は山間の集落へ。
このあたりは猿や猪が出没するそうです。
「熊に注意」の看板もありました。
珍しいらしいヒダリマキガヤの木。
路上で力尽きていたチョウ。
明治に建てられて、今も人が住んでいる住宅の茅葺屋根を中から見上げたところ。
昔は蚕も飼っていたという部屋もありました。
萬蔵稲荷神社。私は行きませんでしたが、上まで行くとちゃんと神社と、宮司さんの家があるそうです。
そりゃ犬を連れてったらお狐様が怒りますよね。
それより鳥居に生えていたきのこが気になります。これ一つだけ。
草の茎でつついてみた感触はぷりぷりして固めでした。
林間の草地は、ほんの十年ほど前は田んぼだったそうです。
奥の方に色づいた田んぼが残っています。
震災の後廃業してしまったという民宿の跡(人は住んでいるようです)
小坂峠からのこの眺望が見放題の民宿、かつては人気だったそうです。
錆びた望遠鏡。
古い北海道民が、本州・四国・九州を指して「内地」と呼ぶことがあります。
生まれも育ちも、祖父母の代から道産子の私が内地に来ると、
「ここは日本なんだなあ」と感じることがよくあります。
たとえば動植物相。
真冬に葉を茂らせる照葉樹、柿が成る民家の庭や真冬に花をつける椿の生垣。
車で初めて野生の猿を見た山。
「ここは日本むかし話の舞台なんだなあ」とも表現できます。
猿が木に登って蟹に柿の実をぶつけたり、きびだんごで従者になったりする世界、
幼い私にとっては魔法使いと同じようにファンタジーだった世界、
それが今目にしている「日本」なんです。
「ここは日本史の舞台なんだなあ」というのもあります。
大名行列が通った街道。
千年以上前から稲を作り、田を家を守り続けてきた人たちの子孫が住んでいる土地。
私が生まれ育った土地は、百数十年前には町なんかなかった、
森や山やただの海岸線だった場所ですからね。
私はその血を継いではいませんが、語り聞かされた物語の中では
けものたちは皆神(カムイ)で、とりわけ尊い村の守り神
シマフクロウ(コタンクルカムイ)を射る矢はことさらに美しく誂えられ、
カムイは最も美しい矢を求めて射られるのだとか。
一方で、教会付属の幼稚園で福音書を聞いて育ったりもしているわけですが。
お寺が多いなあ、とか、そういえば北海道ではほとんどお寺でしか見ない
瓦屋根が普通に住宅で使われているなあとか。
仏壇とか、古い地名とか、道端のお地蔵さんとか。
本やテレビの中でしか見たことのない「日本」を目の当たりにするたびに
自分は日本人ではなく北海道人なのだと再認識します。
気候や人と人との距離感、北海道はどちらもドライです。
花冷えの京都で雨に降られて風邪をひいて帰ってきた千歳空港で、
気温は氷点下で雪がちらついていたにもかかわらず
雨の京都より暖かいと感じました。
雪は雨より暖かい、ひとの体温を奪わないのです。
いつか小説か二次創作で使いたいネタです。氷属性の人を表現するのに。
盛大に脱線しました。
最後に、近辺の集落とお祭りのポスターなど。
ザ・地元って感じがしますねー。
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